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カート・ヴォネガット逝く

小説家のカート・ヴォネガット氏が死去

この人の作品がなければ、今の俺は無い。とっくの昔に犯罪者になっているか自殺していただろう。間接的な大恩人の一人であるヴォネガット翁であるが、不思議と涙が湧いて来ない。

「まぁ、こんなもんだ」"and so on"(訳:浅倉久志)「チャンピオンたちの朝食」より

のフレーズにヴォネガット翁の作家性の全てが凝縮されているだろう、俺の座右の銘の一つである。

「優しいペシミズム」

一言で言ってしまうと、徹頭徹尾、そういう作風の作品を発表し続けた。第二次大戦に従軍するもドイツの捕虜になり、ドレスデンの捕虜収容所に送られる。だがドレスデン(ヨーロッパ有数の陶器の街。特にビスクドールはドレスデンドールとして収集家の人気が高い)は連合軍の無差別爆撃に遭う。

国家の為に従軍し、その国家に後ろから撃たれるような経験が、その作家性に大きな影響を与えていた。その時の経験を綴った「スローターハウス5」は映画化もされた大傑作である。

だが、そうしたトラウマを表現不能な鷹揚さに包んだ「まぁ、そんなもんだ」や「などなど」といったフレーズにたくし、なんともノホホンとした雰囲気で、レイヤーの差を問わずに、様々な人々の様々な「生きる苦悩」を優しく包み込んでくれた。

ヴォネガット翁の新しい作品が読めなくなるのは辛い。だが、その作家性は普遍であり作品は不滅だ。今まで発表された全ての作品は、「愛」において普遍なのだから、聖書以上に

ヴォネガット翁の説いた愛は諦念とも言い換えられるかもしれない。だが言うではないか、「人生諦めが肝心」と。人は諦めた時に、ちょっとだけ優しくなれるのだ。それは決して怠惰を容認するものではないのだがな。

謹んで御冥福をお祈りします。

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 米ニューヨーク・タイムズ紙(電子版)によると、米作家で1960―70年代の若者をとらえた対抗文化(カウンターカルチャー)の旗手、カート・ヴォネガット氏が11日、ニューヨーク市内で死去した。84歳。関係者によると数週間前に転倒した際、脳を損傷し治療を続けていた。

 1922年、ドイツ系移民の子としてインディアナポリスで生まれた。第2次世界大戦で従軍中にドイツ軍の捕虜となり、連合国側によるドレスデン爆撃を体験。これが後に作家としての原体験となった。

 ユーモアとペシミズムが織りなす独特の語り口で、米文化の衰退や人間の存在の意味を問う作品を著した。その作品群により、ベトナム戦争に悩む若者たちにとって文学的な偶像となった。

 52年の「プレイヤー・ピアノ」で登場、ドレスデン体験に基づいた69年の「スローターハウス5」は代表作の一つ。ほかにSFの「タイタンの妖女」や「猫のゆりかご」などがある。(共同)

(2007年4月12日18時42分 スポーツ報知)
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ジョセフ・バーベラさん逝く

ジョセフ・バーベラさん逝く

こう立て続くと、なんかいい加減にして欲しい。マジに。・゚・(つД`)・゚・。

既に鬼籍に入られた相方ウィリアム・ハンナ氏と共に、数多名作TVアニメを世に送り出した、間接的心の師の一人。代表作を「トムジェリ」はともかく、「スクービー・ドゥー」(邦題「弱虫クルッパー」)と「フリントストーンズ」(邦題「恐竜天国」又は「原始家族」)で済ますなと。

「チキチキマシン猛レース」「スカイキッドブラック魔王」を忘れてもらっては困る。

とは言え、正直のところ、もうお亡くなりになっていると思っていたのであったが、「詳しい死因は不明」というのがなんか物凄く切ないぜよ。。。。。。

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「トムとジェリー」のバーベラ氏死去
 「トムとジェリー」など子どもに人気のアニメキャラクターをつくり出した米アニメーション作家、ジョゼフ・バーベラ氏が18日、ロサンゼルス郊外の自宅で死去した。95歳だった。老衰とみられるが、詳しい死因は不明。

 1911年ニューヨーク生まれ。銀行勤務などを経て、アニメーション作家として30年代に映画会社MGMに採用された。故ウィリアム・ハンナ氏(2001年に死去)とコンビを組み「トムとジェリー」「スクービー・ドゥー」「フリントストーン」などのアニメーションを制作した。

[2006年12月19日11時47分]
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青島幸男さん、逝く・゚・(つД`)・゚・。

今度は青島だぁ・゚・(つД`)・゚・。
あぁぁあああああああ。

都知事としての芳しくない評判が先立つ昨今であったが、世界都市博をブっ潰した政治センスは、今でも俺は評価している。コレが、都庁内部のいじめの構造の引き金にもなったとも思えるのだが。

都知事の人気を終えて早々のバラエティ番組のインタビューで、衆議院時代からの座右の銘として自作の五言絶句を上げられていた事が何より印象深い。詩の詳細は覚えていないが、「コレね、日本語に直すと『わかっちゃいるけど やめられない スイスイスーダララッタ スラスラスイスイスイ』なんだよ」と嬉々として語っていた、あの笑顔!

都知事選い打って出るちょっと前、リメイク「シャボン玉ホリデー」に出演者として参加した折、コントのオチに使う金ダライの底を自ら金槌で叩いて伸ばし「こうするとイイ音出るんだよ」と構成作家として参加した景山民夫の目の前でやったという逸話も素晴らしい。

そう、生涯「シャボン玉ホリデー」のスタンスを守り抜いた人だったのだ。大勢に阿ねず、だがあくまでスマートにユーモラスにあるべしと、初心を貫き通した男前の方だった。。。。。。いや、もっと言ってしまえば、芸能界最後の江戸っ子(あえて、噺家方面は無視する)とも言えるのかも知れない。

その才能と生き様に憧れた者、数知れず。そうした方々に何言うでもなく、まさに生き様を見よ、「黙って俺についてこい!」「そのうちなんとかなるだろう」オーラを発散しつつ体現し、故・景山民夫、高田文雄、引いては唐沢俊一(コチラは景山のなりそこねとご自身日記でおっしゃってたから、孫弟子みたいなものか)功績もまた大きい。

安らかにお眠りください。。。。。。虫プロ劇場アニメ第一作『千夜一夜物語』で共演した岸田今日子さんと同日訃報が届くというのは奇しき縁を感じるなぁ。青島氏が声をアテた主人公アルディンのラストのセリフ

「はっ、いけねぇ。俺としたことが王様なんて小せぇ小せぇ」。・゚・(つД`)・゚・。

数多都知事職に就いた人物あれど、その訃報を心から悼む人間の数の多さでは、おそらく貴方が空前絶後ですよ、きっと。そして、その存在感をこれからも忘れない人々の数も。東京の王様なんて小せぇ仕事でしたよ・゚・(つД`)・゚・。
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訃報>青島幸男さん74歳=前都知事、放送作家、タレント
12月20日13時54分配信 毎日新聞


 放送作家、タレントとして高度成長期のお茶の間の人気を集める一方、95年の東京都知事選で無党派旋風を巻き起こすなど政治家としても活躍した前同知事、青島幸男(あおしま・ゆきお)さんが20日午前、骨髄異形成症候群のため東京都内の病院で亡くなった。74歳だった。葬儀は未定。自宅は非公表。喪主は長男利幸(としゆき)さん。
 1932年、東京・日本橋の仕出し弁当店の二男として生まれた。早稲田大学卒業後、テレビのコント番組「おとなの漫画」で放送作家としてデビュー。歌謡バラエティー「シャボン玉ホリデー」で売れっ子に。植木等の「スーダラ節」の作詞などを手がける一方、67年には、テレビドラマ「意地悪ばあさん」に主演し、タレントとしても一世を風靡(ふうび)した。81年に母親をモデルにした「人間万事塞翁が丙午」で直木賞を受賞した。
 芸能・文化面での活躍の一方、庶民の目線による政治の実現を標榜。68年の参院選全国区で2位当選(以後5回当選)し、政界入りした。この時のトップ当選は現都知事の石原慎太郎氏だった。
 71年の参院予算委員会で、当時の佐藤栄作首相を「財界の男妾」と呼んで批判し、92年には、5億円献金受領問題で金丸信自民党副総裁(当時)の議員辞職を求めてハンストをするなど、意表を突く手法で時の権力への対決姿勢を貫いた。
 95年の都知事では「反既成政党」を掲げ、政党相乗りの石原信雄・元官房副長官らを破って初当選。大阪府知事に当選した横山ノック氏と共に無党派層の時代を演出した。知事就任後は、開催が決まっていた世界都市博覧会の中止を実現させたものの、東京協和・安全の旧二信組の破たん処理への対応や自衛隊違憲発言、都の食糧費公開への消極的な態度などで批判を受けた。
 1期限りで知事を引退。04年の参院選に出馬したが、復帰はならなかった。【清水忠彦】


最終更新:12月20日13時54分
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岸田今日子さん、逝く

岸田今日子さん、逝く・゚・(つД`)・゚・。
えぇえええ!?今年は一体どういう年何だよ!!!

もの心ついた時にはすでに「ムーミン」であり、思春期に前後して「千夜一夜物語」と「傷だらけの天使」があり、今日に至るまで邦画を締める名優として、常に共にあったといって過言ではない存在だった。

「傷だらけの天使」の綾部社長。。。ショーケンや岸田森の雇い主。。。は時に慈母であり時に女帝であり、イイ女の極致として、一生忘れられない。「私、食事をしている所を見られるのは、セックスを見られるより恥ずかしいの」という名セリフは、世のあらゆる女性の金科玉条とすべし!と、思い続けて幾年月、これを体現し続けた方が亡くなるとは。。。。

アニメ方面では「まんが赤い鳥の心」だったか、「まんが日本昔話」の大ヒットに便乗したアニメの朗読が素晴らしかった。「赤い鳥」に掲載された大正・昭和の文人の手による名作童話をアニメ化し、岸田さんが朗読するというのが大まかな体裁だが、脚本は会話文の割合を増やし、事実上の岸田今日子一人芝居という、鬼のようにゴージャスな番組だったのだ。(OP/EDの主題曲の美しさと、怖いくらいシュールで幻想的なアニメもまた印象深かった)研究者の間では評価が低い模様の芥川龍之介「魔術」は凄かった。裏「杜子春」とも言うべき、子供向きではないネガティブ訓話である「魔術」を、これまた子供に阿らない演技で挑まれ、ギャンブルテーマの対決モノの白眉であった。

自作童話「子供にしてあげたお話、してあげなかったお話」の朗読(確か「哲子の部屋」か?)も素晴らしかった。幼児に語り聞かせる口調で語る、大人のエロス

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小さい子でも分かる部分が少しでもあれば、それでいいの。私たちだって本を読んでも、分からないところがずいぶんあるじゃない。でもそのときは謎でも、いつか分かるときが来るんです。
MS. Wendy インタビューより
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業界的には「岸田今日子」ポジションが確立して久しいものの、常に真摯に知性と品格と、そこから醸し出される様々な人間エッセンスを忘れない芸風だった。淑女の中の淑女、安らかに眠ってください。俺たちは一生、貴女のことを忘れません。

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岸田今日子さん死去 「砂の女」、ムーミンの声

 映画「砂の女」や、アニメ「ムーミン」の声などで知られ、演劇でも活躍した個性派女優の岸田今日子(きしだ・きょうこ)さんが17日午後3時33分、脳腫瘍(しゅよう)による呼吸不全のため東京都内の病院で死去した。76歳。東京都出身。葬儀は近親者のみで行い、後日「お別れの会」を開く。喪主は長女の西条(さいじょう)まゆさん。

 父は劇作家で文学座創立者の1人である故岸田国士。1950年に初舞台に立ち、文学座で「サロメ」などに出演した後脱退、劇団雲を経て演劇集団円の創立に参加した。

 主な舞台に「今日子」「更地」「ブラインド・タッチ」など。「こどもステージ」をはじめ、劇作家別役実さんの作品に数多く出演。ミステリアスな雰囲気で喜劇からシリアスな役まで幅広く演じた。

 安部公房原作、勅使河原宏監督「砂の女」(64年)で、昆虫採集に来た男を砂の世界へ引きずりこむ女の役を演じ、海外でも高い評価を受けた。映画「破戒」「八つ墓村」や、テレビドラマ「傷だらけの天使」でも独自の存在感を示した。

 60年代から「ムーミン」の主人公の声や、ドラマ「大奥」のナレーションを務めるなど、独特の声質と語り口で人気を集めた。

 著書「妄想の森」で98年、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞するなど執筆活動でも知られた。姉は詩人の岸田衿子さん。
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宮内国郎氏逝く

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訃報:宮内国郎さん74歳=「ウルトラマン」などの作曲家
 宮内国郎さん74歳(みやうち・くにお=作曲家)27日、大腸がんのため死去。葬儀は近親者で行う。自宅は東京都狛江市岩戸南1の5の2。喪主は長男俊郎(としろう)さん。

 「ウルトラQ」「ウルトラマン」など特撮テレビ番組や映画の主題歌作曲を中心に活躍した。

毎日新聞 2006年11月30日 22時46分
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謹んで御冥福をお祈りします。。。。まったくなんてこった。実相寺監督といい、宮内さんといい、「ウルトラマン」関係者の矢継ぎ早の訃報。。。。。。

ウルトラシリーズの仕事が多かったわけだが、他には何も無いのか?ジャスラックのDB手繰っても、解りきったものしか出てこない。。。ちゅうか、「ウルトラQ」と「ウルトラマン」以外の作品はジャスラック通っていないっぽいぞ。「ガス人間第一号」も「ボーンフリー」も「コセイドン」も「ザ・ウルトラマン」も引っかからない。。。。

なんなんだろうなぁ、こういう扱いって・゚・(つД`)・゚・。