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「10ドルだって大金だ」 ジャック・リッチー

またまた、ジャック・リッチー登場。短編集である事もさりながら、読み易い文体で着想の妙のみを純粋に味わえる、珠玉の短編集。「迷探偵」というのは可哀相な気もするが、「二重解決モノ」のターンバックルシリーズを五編収録。

特に気に入った作品を挙げておこう。

「妻を殺さば」
生活無能力者の男が遺産目的で妻の殺害を計画するという定番の物語。。。。なのだが。。。。

「毒薬であそぼう」
青酸カリの塊をひょんなことから手にした反抗期の兄妹。劇薬回収にやっきになる敏腕警部補を手玉に取る、子供の知恵の大胆さが、クイズ的に楽しませてくれる。そして。。。。

「10ドルだって大金だ」
10ドル紙幣の重さを痛感するユーモア・サスペンス。シチュエーション・コメディとしても気の利いた表題作。

「とっておきの場所」
とっておきの場所の意外性が楽しい、ブラック・ユーモア色の強い一編。

「キッド・カーデュラ」
「クライム・マシン」収録の「不死身」のオプ、カーデュラ登場。シリーズではエピソードゼロに相当する、探偵になる前のカーデュラを描く。すかんぴんのカーデュラが天職とも言えるビッグ・マネー獲得法を思いつくのだが。。。。

「誰も教えてくれない」
ターンバックルシリーズは、今だったら十分長編に成り得るアイデアを贅沢に短編に収めた感じがする。が、この一編だけは短編の妙を強く感じさせる。どちらかというと「奇妙な味」に近いテイストが楽しい。

10ドルだって大金だ


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プラットホームに吠える

プラットホームに吠える 霞流一 光文社(カッパノベルス)

プラットホームに吠える

動物をテーマにした「見立て殺人」をこよなく愛する作者のバカミス最新作。親子三代警視庁勤めの寿宮一家が遭遇した女性脚本家殺害事件は、狛犬をキーワードに混迷を深めていく。そして、第二の殺人事件が発生。今度はあろうことか不可能犯罪だった。寿宮家掛かり付けの美人鍼灸医、蜂草輝良里が再び探偵役を買って出る。

歴史に"if"は無い。だが。。。もしもディクスン・カーと横溝正史の間に子供ができていたら。。。歴史の"if"以前の問題であるが。。。それはきっと霞流一のような作家になっていたであろう。横溝的怨念世界を背景にカーの奇想をゴア趣味な猟奇死体で彩り、不謹慎なギャグで味付けをした霞流一の作風は、本作でも健在。同作者には「デッド・ロブスター」という前例もあるが、本作は空飛ぶギロチン殺人事件なんだよ!

もう笑っちゃうくらい執拗な見立てのロジックも健在である。流石にちょっとマンネリ感も否めないが、事件の構成の着想は結構新鮮だった。

もうね、徹底的にコッチ側な霞流一の大ファンなんだよ、俺は。毎回登城する酒と食い物へのこだわりや、三分間クッキングレシピも、相変わらずで楽しいし。

そう、このヒトの書くミステリは「楽しんで書いている」感が魅力なんだよね。で、その楽しさというのは、ミステリ好きの酒の席の楽しさなんだな。読んでいる間はずっと、美味い酒と肴を前に嬉々として殺人を語る至福の時間の疑似体験を味わえるトコロが、霞作品の本質なのだ。

霞流一 探偵小説事務所

風の影

風の影 上/下 カルロス・ルイス・サフォン 訳:木村裕美 集英社文庫
ディレッタンティズムとは無縁の通俗性がある種心地よい、古典ロマンの再構築。
風の影〈上〉


1945年6月のある早朝、10歳のダニエル少年は古書店を営む父親に連れられ、バルセロナ市街のとある秘密めいた場所に連れて行かれる。そこは「忘れられた本の墓場」と呼ばれる、古書の迷宮のような場所であった。そこで一冊だけ好きな本を選べと父に促されるダニエル少年。様々な書き手や持ち主の思いの込められた本の迷宮から選ばれた一冊は、決して失われないよう、生涯を賭けて守らなくてはいけないのだ。彼が選んだ本はフリアン・カラックス著「風の影」。多くが謎に包まれた作家の失われた一冊を中心に、ダニエル少年の人生は数奇な運命を描いていくのであった。

情感たっぷりの導入部だが、ボルヘスやダニング調の「書を巡る運命」を期待すると大きく外れることになる。本作は、書物そのものではなく、それを書いた人間、読んだ人間の運命を綴る物語なのだ。

舞台となるのはスペインの内戦を経て独裁者フランコの統治下のバルセロナ。フリアン・カラックスの謎に満ちた運命のように、どんよりとした暗雲が立ち込める陰鬱なムードである。

そうした世情の中でダニエル少年が少年から青年に至るプロセスが、上巻の主要な内容だ。大手古書店主の一人娘、盲目の美女。。。年上の女。。。への激しくも切ないダニエルの初恋の行方に見え隠れする禍々しい人物たち。。。フリアン・カラックスの著作を全て焼き尽くそうと画策する謎の男、冷酷で粗暴な治安警察の刑事部長フメロ。そしてダニエルを暖かく見守る父親や友人たち、ダニエルに助けられて生きる活力を得た元浮浪者にして生涯の親友となるフェルミン。

これら登場人物たちが織り成す物語は、はっきり言って通俗的である。だが、それ故に一度読み出したらもう止められなくなる。それは一重に、丁寧なキャラクター造詣の成せる技である。登場する全てのキャラクターがそれぞれのドラマを感じさせ、陰鬱な時代に鮮やかなきらめきを放つ。威力ある登場人物のおりなす一大ロマン。これは、古典的を現代に再構築したとも言えるだろう。そして、人の営みや感情の普遍性を顕にする。だから、面白いのだ。


風の影〈下〉

そして1954年。19歳になったダニエルは、親友トマスの妹ベアトリスと恋に落ちる。許婚のいるベアトリスとの道ならぬ恋が燃え上がる一方、フリアン・カラックスの謎に満ちた生涯も、少しづつベールが剥ぎ取られていく。意外な人物から語られる、フリアン・カラックスの劇的な生涯。そして、カラックスの人生に深く関わっているもう一人の人物、刑事部長フメロは、カラックスの死亡に疑いを抱いており、カラックスの人生を探るダニエルに付きまとう。
ダニエルの心強い見方フェルミンもまた、その過去においてフメロと浅からぬ因縁があった。ダニエル父子のささやかな古書店が治安警察の暴威に晒される。
カラックスの生涯が明らかになるにつれ、ダニエルはそれと知らぬうちに、自身の人生がフリアン・カラックスの人生をなぞっていることに気が付く。フリアン・カラックスとは何者なのか?カラックスの存在を抹消しようとする男は何者なのか?フメロとカラックスにはどんな繋がりがあったのか?そして、ダニエルの運命は!?

ストーリーそのものは通俗的であるし、カラックスの秘密が明かされる手法も、あまり褒められたやり方ではない。だが、カラックスとダニエルの人生がシンクロしていく運命の妙を味わわせる構成力は見事なものがある。時代も境遇も全く異なるダニエルとカラックスが、二重螺旋のように一つの結末に向かっていく。その運命を手繰るのが、悪玉のフメロである事がなんとも上手いのだな。

読み進めていけば、オチは大体読めてしまうのだが、それでもなお、ラストのカタルシスは堪えられない。卓抜した構成力に加え、カラクター造詣をじつに丁寧に緻密に行っているからだ。特に、悪玉フメロの憎憎しさのディテールと運命論的な壁の役割に対し、実に生き生きと軽妙に、生の謳歌を歌い続ける道化のフェルミンの存在が素晴らしい。ダニエルより遥かに年上でありながら、親愛と忠誠を尽くす友人にして従者という立ち居地は、実にクラシックである。だが、その行動原理のプリミティブさ、つまり人間が本能的に持つ善性がるからこそ、陰惨な運命論的物語を大団円に軌道修正するある種の力技を、素直に感動に結びつけるのである。

フランス白粉の秘密

フランス白粉の秘密(1930年発表) エラリー・クイーン 宇野利泰 訳 ハヤカワ・ミステリ文庫






フランス白粉の秘密




N.Y.五番街に立地するフレンチ百貨店では、通りに面したショウウウィンドウで行われる、ヨーロッパ近代家具のデモンストレーションが話題になっていた。毎正午に開かれるデモンストレーションを観に現れた見物客の前で、収納式ベッドを展開した時、一人の女性の死体が転げだす。二発の弾丸で心臓を打ち抜かれている女性は、百貨店社長の夫人であった。

これは未読であった。今回初めて読んでみた感想は、よく出来たパズラーであるなぁと。割に早々と事件の概要が提示され、犯人の特定も比較的容易であり、「読者への挑戦」へ正解を出せる快感を比較的簡単に享受できるという点において楽しめる作品であったかと。

だが、血痕から犯行現場がショウウィンドウ内部ではなく別の場所であるとするエラリーの論拠からすれば、真の犯行現場である社長室の血痕についての言及は、いささかアンフェアではないか?心臓を打ち抜かれているのだから当然大量出血が起こるわけで、その染みは当然社長室の絨毯にもドップリ血溜りを作っているだろう。それを痕跡を全く残さず処理できるものだろうか?まして、キーアイテムになるブックエンドの底部に張られたフエルト地の僅かな色違いを言及しているのなら、絨毯の色実や柄、材質に全く触れていないのはズルくない?

それはソレとして、原題は"The French Powder Mystery"なわけであるが、これを『フランス白粉の秘密』と訳した翻訳者の胸中は察して余りある。"Powder"なら一語でいろいろな意味を持つわけだが、日本語では"Powder"に該当する単語が複数あるなかでの苦肉の策であったのだろう。

「ローマ帽子」も「フランス白粉」も本編には登場しない。このタイトルは、国名が犯行現場(ローマ劇場の客席、フレンチ百貨店)、その後ろに続く普通名詞がキーアイテム(帽子、粉)という構造になっているのである。タイトルもまたヒントになっているのだ。残念ながら、国名シリーズは以降この法則性から外れていく。

だが、この遊び心あるタイトル命名の法則は、京極夏彦の京極堂シリーズが踏襲しているのであった。日本の戦後という舞台設定の故もあってあまり目立たないが、ここ最近の京極堂シリーズ(含む、薔薇十字探偵社シリーズ)の着想は、クイーンっぽくなってきたなぁと思ってもみたり。

発表年の1930年に何があったかというと、第一回FIFA開催とかドイツでナチス党が台頭し始めたとか、そういう時代背景がある。本編とは全く関係が無いが、ハナ肇、谷啓、小林昭二、名古屋章、深作欣二監督、ジョン・フランケンハイマー監督、クリント・イーストウッド、コリン・ウィルソン、エドワード・D・ホック他、各界錚々たる方々が出生した年でもあるのであった。

邪魅の雫

オレはそれをSNSの犯罪と呼ぶ。

邪魅の雫


次々と破談となる榎木津礼次郎の婚約話に何か裏を感じた榎木津の伯父今出川からの真相調査を命じられ、薔薇十字探偵社の探偵見習い益田は成り行きで調査活動をはじめる。

一方、木場ともども降格左遷されていた青木刑事は、本庁・公安・県警本部の合同捜査本部が設置される、不可解な毒殺事件を追っていた。公式的には単独の事件とされながら、上層部は何かを隠蔽しつつ、連続殺人事件として捜査指針を下される二件の殺人事件。しごく真っ当な操作手順を敢えて飛ばす本部の指示と、警察内部の三つ巴の縄張り意識の軋轢の中で、青木は所轄の若手捜査員とともに独自の捜査を進めていく。

そして、長野県警を退職した胡乱な男大鷹は、謎の女から、一人の女の身辺警護を依頼される。

ご存知の面々がそれぞれの思惑の元に集う先は平塚。そして、海沿いの寂れた町にまた新たな毒殺事件が沸き起こる。

大まかな構成はシリーズ通してのフォーマットに則っているものの、京極堂の妖怪講釈が無かったりなど、ちょっと趣向が変わっている。メインで活躍するレギュラーメンバーが地味な2ndリーグの顔ぶれである。が、元あるいは現役の警察関係者で〆られているため、ちょっとした警察小説めいた展開で物語が進むところも、目先の変わったところだ。

事件そのものはそれほど複雑ではなくテーマ性も明解。が故に、ちょっと食い足りない感があるかもしれない。特に、勘のいい人間なら、割合はやばやと帝銀事件および堂島大佐の匂いを感じ取る事だろう。ただし、良くも悪くもその予断は裏切られるので、アンチ『塗仏の宴』なファンは途中で投げ出す必要は無いと思う。。。。。あの結末をみてどう思うかは与り知らないけれどね。

というわけで本作、一見さんにはちょっと辛いかもしれない。せめて、『魍魎の匣』『鉄鼠の檻』『陰摩羅鬼の瑕』のいずれかは読んでいたほうが良いかもだ。無論理想は、『姑獲鳥の夏』から順番が一番だけれど。

最後の一壜

『最後の一壜 スタンリイ・エリン短編集』 (1963~1978年発表) スタンリイ・エリン 仁賀克雄 他 早川ミステリ

『特別料理』で得も言われぬ不気味な「奇妙な味」を味合わせてくれた、エリンの短編集。ミステリあるいはサスペンスの範疇での掌品が多いが、結末の跡に、さらなるドラマを感じさせる作品が多い。翻訳家も錚々たるメンバーが揃った、珠玉の短編集。気に入ったのは以下。






最後の一壜



「エゼキエル・コーエンの犯罪」(1963年 訳:仁賀克雄)
イタリアでレジスタンスとして活躍したエゼキエル・コーエンは、ナチと内通した裏切り者とされていた。休暇旅行でイタリアを訪れていたアメリカ人警官は、父の無実を信じる娘と出会い、二十年以上の歳月を超えて、真相究明に乗り出す。ほろ苦い結末ながらストレートに感動できる佳作。

「127番地の雪どけ」(1965年 訳:小笠原豊樹)
因業大家と管理人に冬の間の十分な暖房を求める住人連合が立ち向かう。ユーモラスな展開から、作者らしい「ニヤリ」とさせる結末が宜しい。

「古風な女の死」(1966年 訳:永井淳)
画家の妻が夫のアトリエで、胸に深々とナイフを突き立てられて死んでいる冒頭から、その死の真相を探る本格推理。。。。にみせかけての意外な結末。ミステリとしてギリギリセーフかつ悪意の深さが伺えるアイデアが秀逸。

「12番目の彫像」(1967年 訳:永井淳)
舞台はイタリア。映画制作の現場と辣腕プロデューサーの思惑がぶつかり合って。。。という中篇ミステリ。長さゆえか、ミステリとしては凡作であるが、映画好きにはある種堪えられない構図の「対決もの」として楽しめる。

「最後の一壜」(1968年 訳:矢野浩三郎)
この世に一本しかないワインを巡る、愛憎渦巻く復讐譚。鮮烈にしてなんとも言えない余韻を残す、傑作。

「画商の女」(1970年 訳:深町眞理子)
「127番地の雪どけ」と同じく、持つ者とと持たざる者の対決編。因業な画商をやり込めるアバズレの冴えたやり口が極めて痛快。

「清算」(1971年 訳:永井淳)
結末から更なるドラマの広がりを感じさせる。時代が生んだアイデアは、デヴィッド・マレルのアレと同じテーマを鮮やかに、しみじみ怖く料理している。

「天国の片隅で」(1975年 訳:丸本聰明)
短編にしておくのは勿体無いようなアイデアだが、長編だとダレるんだろうなぁと。個人的に、俺自身の持っている闇の琴線に触れる、大変に怖くも爽快感のある傑作。



ローマ帽子の謎

ローマ帽子の謎(1929年発表) エラリー・クイーン 井上勇 訳 1999年 創元推理文庫 






ローマ帽子の謎



例の『ニッポン硬貨の謎』読んでから、クイーンを読み直してみようと思い立ったわけさ。いざ読み直してみると、劇場から帽子を持ち出すハナシというあたらずとも遠からず当たり障りも無い粗筋しか覚えていなくて、新鮮は新鮮だった。

あと、エラリー・クイーンといえば、縁なし眼鏡などかけており、ものすごくモダーンなイメージがあるのだな、俺には。全く根拠は無いが、フランク・ロイド・ライトの建築物のある風景がイメージされるのであった。

まぁ時代的には決して間違っていないのだが、時代背景としては禁酒法下であったりとかでちょっとビックリ。調べていたら『ローマ帽子の謎』が発表された1929年って大恐慌が始まったり、St.バレンタインデーの虐殺とかあった年なんだねぇ。へぇ。

というわけで、黒人の血が混じってることがバレるとまずいから殺しましたという動機は、いかにも時代を感じさせるなぁ、と思ったのだった。

「話を純粋に理詰めにしていくと、与えられた方程式の中で、一つを除いて、あらゆる可能性を極めつくした後、あとに残った一つの仮定は、どんなにありそうにないことにみえようとも、(中略)正しいものでなくてはならない。」

と作中でエラリーは言うわけだ。確かにそうした推理法が展開されるものの、真犯人の唐突感は否めない。アンフェアとも言える部分もあるかな?出演していた男優全員に犯行は可能だったんじゃないの?とかさ、犯行時刻前後に誰が舞台にあがっていたのかが明示されていないとか黒人の血が混じってたら、まず見た目で解るだろうよ!恐喝されるまでも無くとかもね。

まぁ、モダンクラシックの雰囲気は楽しめたよ。

歯と爪

歯と爪(1955年発表) D・S・バリンジャー 2001 創元推理文庫

まず第一に彼は、ある殺人犯人に対して復讐を成し遂げた。
第二に彼は殺人を犯した。
そして第三に彼は、その謀略工作のなかで自分も殺されたのである。

以上、プロローグより抜粋


歯と爪


勘のいい人というか、ある程度ミステリを読み込んでいる人は、主人公リュウの仕掛けた犯罪の概要は、ピンと来るものがあるだろう。多分それは、間違っていないと思われる。俺は大ビンゴだった。

だが、にも関わらず最後まで読ませるのは、バリンジャーの構成力による。いかにしてリュウは殺人事件に巻き込まれたか?そして、いかにして復讐を成し遂げたか。これを描くリュウの一人称の描写と、その復讐劇に纏わる法廷でのやりとりの三人称がカットバックで描かれている。

この法廷部分の描写が曲者でね、被告が誰なのかは最後まで明かされない。つまり、先の「ミステリ読みの勘」が正しいか否かは、クライマックスから結末を読まないと明かされないのだ。そしてクライマックス部分は袋とじにされている。これを開かず返品した場合は、出版社が返金に応じるという「読者への挑戦」が仕掛けられているのだ。

発表時の50年代はこういう手法が氾濫していたらしい。現代では、まさに温故知新。趣向を凝らしたギミックとして中々楽しめるものがある。一般的に読書家というものは、よっぽど難解あるいは大作で無い限り、途中で読むことを放棄したりはしないものだから、プロダクトとしても成功していると思う。ちなみに最近だと蘇部健一『ミイラ男』もこの手法を取り入れていたが、こちらは種明かしがビジュアルによっていた。

最後まで読むと、俺の場合、「あぁ、やっぱり」と思ったのだが、この安堵感が心地良い。洗練された文体(含む翻訳)と構成故の品の良さが、読後の充実感を与えてくれるのだろう。人を殺す理由とそこに生じるリスクを、善玉悪玉双方についてキッチリ抑え、しかもくどくないところが、大人の余裕。倫理を強調しながらも、過剰な情に流さない、「知の愉しみ」としての犯罪小説の洗練であると思う。

ニッポン硬貨の謎

『ニッポン硬貨の謎 エラリー・クイーン最後の事件』北村薫 2005 東京創元社

クイーン作品を全部時系列的に読み直したくなる、愛情と敬意にあふれたパスティーシュ

1970年代後半、来日したエラリー・クイーン(探偵であり作家の虚構人物の方)が解決した事件について記された未発表原稿が発見され、それを北村薫氏が翻訳したという体裁の、本格ミステリ。

ニッポン硬貨の謎

本格というのは言うまでも無くダブルミーニング。本格ミステリの草分けの一人であるエラリー・クイーンの国名シリーズを扱うということで、ジャンルとしての本格。そして、未発表原稿という体裁のパステイーシュの王道な手法をとりつつ、実に実にクイーンスタイルを踏襲し、クイーン論まで展開してしまうという、ファンノベルのスタイルとしても筋金入りの本格派なのである。勿論、自他共に認めるクイーンマニアである以前に、良心的な作品を多数書かれている実力派の作家である北村氏の手になる作品だ、面白くないわけが無い。

脚注のお遊び(これは、作中で展開するクイーン論にも呼応している)や、文体の模倣...初めて日本を訪れた外国人目線のズレや、作品が固まるまでに派生してしまった事実誤認の表現が、脚注のツッコミともあいまって、実にいい塩梅にリアル...など、後期のエラリー・クイーン作品の雰囲気を非常に良く再現している。冒頭の、息子のスランプ脱出に喜んでみたら実は...というクイーン警視の心中描写など、最高に良くできている。

一方、北村薫としての作風も失うことなく作品は構成されている。北村氏といえば、ドラマ部分での人間描写の鋭さも魅力の作家である。美や温もりなどを馥郁たる描写で紡ぐ一方、鮮烈なまでのドス黒さを一閃させる事もできる。その双方をもって、清濁併せ呑む度量や人間存在の不可解を、絶妙に纏め上げる珠玉の掌品が素晴らしい作風だ。

本作では先述の通り、ある種の人には神にも等しいエラリー・クイーンが日本にやってきたら。。。というifのシチュエーションを設定し、神様と幾許かの時を共に過ごすのみならず、ラブコールと同義の作品論を開陳したり、極めつけは共に難事件に立ち向かうという、マニアのみぞ享受できる願望従属のファンタジーである。その、淡い温もりのある色調の風景に、幼児連続殺人事件という漆黒の悪意が吹き抜ける。

事件が悲痛である故に、ファンタジー部分が楽屋落ち的興醒めに陥る事の歯止めともなっているのである。この事件の選定の趣味が、なんとも北村節だなぁと思ったのは俺だけではあるまい。
以前創元社より上梓されたアンソロジー『五十円玉二十枚の謎』に対する、エラリー・クイーンの回答という趣向も楽しい。敬意と愛情に満ちた、だが、才能無くば実現不可能な、極上のパスティーシュ作品である。

狩人の夜

『狩人の夜』ディビス・クラッブ(1953発表) 2002 東京創元社

ちょっと『ジョジョ』調のハイテンションなサイコサスペンス

大恐慌直後のアメリカはオハイオ州。貧しさから強盗殺人を犯した男は、奪った金を隠し、その隠し場所を誰にも告げないまま、絞首刑となった。処刑まで同じ囚房にいた「宣教師」は、男の隠した現金一万ドルを執拗に追い求め、残された男の妻と再婚する。右手に"LOVE"、左手に"HATE"の文字を刺青した「宣教師」は過去にも、幾人もの未亡人と再婚しては、財産を奪って殺していたのだ。父から逮捕直前に、一万ドルのダーティーマネーを託された幼い兄妹ジョンとパールの運命は!?






狩人の夜






といった内容のサスペンス。展開はアップテンポで、前半半分までにキーとなる現金の隠し場所も、「宣教師」ハリーの異常性も読者には詳らかにされてしまう。そして、妹パールまで懐柔され、幼いジョンの四面楚歌状況は、行き着くところまで行ってしまうのだ。残り半分、一体どうなるのか!?

というところで、新展開を迎えることになる。この展開も含めてベタではあるし、スピーディーな展開は描写の淡白さと表裏の関係にある。だが、煎じ詰めれば鬱々とした児童虐待の物語である。なんの救いも無く、延々と粘着質なサスペンス描写を紡ぐ事が、かならずしも作劇上のプラスになるわけではない。その辺りのところは作者はよく理解していると思いたい。訳の巧みさもあいまって、必要最小限の描写を持ってストーリーは十二分に盛り上げられる。

本作を翻訳した宮脇裕子さんが、かの作家の作品をご存知なのかどうかは知らない。だが、本書の語り口、特にキャラクタ造詣に関わる描写や重要なセリフは、荒木飛呂彦調なのだね。凶悪な殺人鬼と彼に対峙する弱者、その双方が見せる意思の強さをテーマとしている点も荒木作品と通じるものがあるが、訳語のテンポや雰囲気というのが、実になんとも荒木的なのである。例えば「宣教師」ハリー・パウエルが、いたいけな幼女を詰問するセリフにこんなのがある。

「これが見えるかい?なんだか知ってるかな?」
「うん、知ってる」
「そうか!じゃ、なんだ?パール、これはなにかね?」
「わかんない」
だったら、知ってるなんて言うんじゃない。嘘をつくことになるぞ。これは、ナイフだ!
(中略)
「ジョンはおせっかいを焼くかな?それとも、おりこうにしてるかな?おせっかいを焼くと、後悔することになるぞ。もし、一言でも口をきいたら・・・・口をきこうとしようものなら・・・・
(中略)
「いいか、私のナイフには触るな!ナイフに触られると、頭にくるんだ!かんかんに怒るぞ!」

どぉ?『ジョジョ』の第三部あたりにありそうなやりとりでしょ?

ちなみにこの作品、ロバート・ミッチャム主演で映画化されているそうな。かの名優チャールス・ロートンの最初で最後の監督作品とのことで、スティーブン・キングも絶賛しているとか。この映画版に関しては、あとがきとして収録されている、石上三登志氏の文章が詳しく面白い。