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Gamby13

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邪魅の雫

オレはそれをSNSの犯罪と呼ぶ。

邪魅の雫


次々と破談となる榎木津礼次郎の婚約話に何か裏を感じた榎木津の伯父今出川からの真相調査を命じられ、薔薇十字探偵社の探偵見習い益田は成り行きで調査活動をはじめる。

一方、木場ともども降格左遷されていた青木刑事は、本庁・公安・県警本部の合同捜査本部が設置される、不可解な毒殺事件を追っていた。公式的には単独の事件とされながら、上層部は何かを隠蔽しつつ、連続殺人事件として捜査指針を下される二件の殺人事件。しごく真っ当な操作手順を敢えて飛ばす本部の指示と、警察内部の三つ巴の縄張り意識の軋轢の中で、青木は所轄の若手捜査員とともに独自の捜査を進めていく。

そして、長野県警を退職した胡乱な男大鷹は、謎の女から、一人の女の身辺警護を依頼される。

ご存知の面々がそれぞれの思惑の元に集う先は平塚。そして、海沿いの寂れた町にまた新たな毒殺事件が沸き起こる。

大まかな構成はシリーズ通してのフォーマットに則っているものの、京極堂の妖怪講釈が無かったりなど、ちょっと趣向が変わっている。メインで活躍するレギュラーメンバーが地味な2ndリーグの顔ぶれである。が、元あるいは現役の警察関係者で〆られているため、ちょっとした警察小説めいた展開で物語が進むところも、目先の変わったところだ。

事件そのものはそれほど複雑ではなくテーマ性も明解。が故に、ちょっと食い足りない感があるかもしれない。特に、勘のいい人間なら、割合はやばやと帝銀事件および堂島大佐の匂いを感じ取る事だろう。ただし、良くも悪くもその予断は裏切られるので、アンチ『塗仏の宴』なファンは途中で投げ出す必要は無いと思う。。。。。あの結末をみてどう思うかは与り知らないけれどね。

というわけで本作、一見さんにはちょっと辛いかもしれない。せめて、『魍魎の匣』『鉄鼠の檻』『陰摩羅鬼の瑕』のいずれかは読んでいたほうが良いかもだ。無論理想は、『姑獲鳥の夏』から順番が一番だけれど。
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Dr.Who ドクター・フー にぎやかな死体

ドクターフー 第三話「にぎやかな死体」

シーズンを通しての複線が張られている重要なセリフが、僅かなシーンに二箇所もあった。しかも、ゲストキャラに語らせるというのが上手い。よく練りこんでいるなぁ、シリーズ構成。年間1シーズンと決めて作る製作体制は、上手い方法かも。予算配分も計算して出来るからね。

実際のガス灯というのを見た事は無いが、アンバーがかった照明がそれっぽくって美しい、情感たっぷりのゴシック編。
ゾンビものをゴシックでやって、しかもSFに落とすというのは、SF発祥の地にして、石を投げれば幽霊屋敷に当たるという首都ロンドンを擁するイギリス人のセンスの勝利。二重にほろ苦いオチも余韻があって良い。
ガス生命体ゲルスのタイムウォーで絶滅の危機に瀕しているという甘言にドクターがいとも簡単に篭絡されてしまうのは、キャラクター造詣的に非常に良かったと思う。自身の境遇を鑑みて、種の絶滅という事態にナーバスという設定は、後に放映される"Doctor Dance"にも繋がって来るのだ。

ディケンズの声は、重鎮永井一郎氏。まったく文句は無いものの、中堅以下の老け役ができる役者さんの層が薄いのは、吹き替えの今後を考えるとウームな感じがするなぁ。

それはそれとして、ドクターとディケンズの馬車の中でのやり取り。ゴシックホラーアンソロジーでは定番の「信号手」ってデイケンズだったね、そう言えば。宮部みゆきもhall of fameに入れてる名編だけに、「あの幽霊が出るヤツ」「『クリスマス・キャロル』?」「違う違う。汽車の方」ってのは笑った。

Doctor Who
Complete First Series
(US版 英語字幕有り)
BOX1~13話+特典
Doctor Who
Complete First Season V.1(US版 英語字幕有り)
1~3話収録


ドクター・フー
オフィシャルガイド
モンスター

ドクター・フー 地球最後の日

Dr.Who ドクター・フー第二話 地球最後の日

細かい台詞のニュアンスはやはり吹き替えが伝わりやすくて良い。今回、下ネタ人種デタ等かなり極どい台詞が多かったが吹き替え台本は健闘していたと思う。元の脚本がしっかりしている事もあるだろうが、異文化コミュニケーションの微妙なギャップが台詞でよく描けていた。例えば、地球崩壊のBGMに「古のバラード」と称してブリトニー・スピアーズの曲がかかるとかね。i-podとがラジオ、Big Issueが雑誌と訳されていたのはご愛嬌。

無論、ローズの屈託の無い現代っ子ぶりと、不死身の時空ボヘミアンであるドクターとのカルチャーギャップも細かく描けており、ラストの余韻は味わい深い。

極悪種地球人という着想は目新しいものではないが、最後の地球人と言う意味で邪悪の権化として生粋のカサンドラの声を、藤田ゾフィス淑子さんが担当。ベストキャスティング!「水よ水!」という台詞のユーモラスな小技も利いていて良かった。

Doctor Who
Complete First Series
(US版 英語字幕有り)
BOX1~13話+特典
Doctor Who
Complete First Season V.1(US版 英語字幕有り)
1~3話収録


ドクター・フー
オフィシャルガイド
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Dr.Who ドクター・フー 第一話「マネキンウォーズ」

Dr.Who ドクター・フー 第一話「マネキンウォーズ」

ワッホイ!いよいよ始まった。あぁ、日本語吹き替えは集中できてイイ!






ドクターの退去勧告
ドクターの退去勧告

山路和弘のドクター、人を小馬鹿にした尊大さがイイね。なんだかムーミンのスノークみたいなキャラであるが、こういうキャラクター造詣って、イギリス人好きだなぁ。古くはシャーロック・ホームズ、ヲタク的には『謎の円盤UFO』のストレイカー司令、ジェームス・ボンドもこの範疇かもしれない。この辺りが、明日の「地球最後の日」で明かされていくドクターの過去に反映されていくのだな。

クライマックス、ネスティーン(今日よりこれがオフィシャル表記になるんだなぁ)とまず対話をというところも、ドクターっぽくて宜しいし、あんまり日本人には馴染の無いタイプのヒーロー像で新鮮な印象があったのではなかろうか?

日本のコッチ側の女性は、京極堂とか御手洗潔とかお好きなヒトが多いので、結構人気出るかもね。

坂本真綾のローズもいい感じである。地上波放映時に『WASABI』の広末の吹き替えの印象が強かったので、一時はどうなることかとも思ったが、溌剌とした魅力がよく出ていたと思う。

ドクターをリサーチしているトンデモさんのドクターに対する見解が、サンジェルマン伯爵というよりIT(スティーブン・キングのアレね)だったのも興味深い。過去事例についての説明も、本編外でのストーリーの膨らみを感じさせていたりして、ご存知モノのお遊びではなく設定のディテールを描いた上手い演出だったと。

予定されていた番宣のミニ番組が流れたのは惜しかった。



Doctor Who
Complete First Series
(US版 英語字幕有り)
BOX1~13話+特典
Doctor Who
Complete First Season V.1(US版 英語字幕有り)
1~3話収録


ドクター・フー
オフィシャルガイド
モンスター



ドクター・フー オフィシャルガイド

ドクター・フー オフィシャルガイド(1) モンスター






ドクター・フー
オフィシャルガイド
モンスター



1963年から1989年まで26年間に渡ってBBCで放映された人気SF番組「ドクター・フー(Dr.who)」。2005年に再開された9代目ドクター、クリストファー・エクルストンのシリーズの放映に合わせて海外で出版されたムックを和訳したものと思われる。

この度日本でも放映されるこのシリーズに登場するモンスターを中心に、旧シリーズの人気モンスターも含めて紹介されており、"Dr.Who"という番組がどういうものであるかを俯瞰できるような体裁になっている。

ファンむけのムックとしての完成度はかなり高い。各モンスターの登場エピソードの概略、デザイン画、撮影中のスナップショットなど、この種の番組のムックとしては必要十分な情報を掲載している王道な構成をとっている。現時点では、日本の視聴者には「なんのこっちゃ!?」といった感じがあるものの、もし、この度の日本放映で「ドクター・フー」にハマってしまったならば、随喜の涙を溢すような貴重な資料や図版が豊富なのだ!

マスターテープの散逸の為ソフト化不可能なエピソードの画像や、デザイン/製作の裏話などなど。マニアのツボは洋の東西を問わないね(w。

内容的には「大きいおともだち」向けではあるが図版が豊富なので、子供も十分に楽しめるであろう。TVの中に怪獣や宇宙人を必要とする年頃の子供にとっては、ちょっと背伸びした大人気分が味わえる怪獣図鑑といった趣きかもしれない。

クラシックシリーズからのファンである自分にとっては、マストアイテムの逸品であった。

丹波哲郎さん逝く

「砂の器」「Gメン75」丹波哲郎さん死去

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 映画「砂の器」や英国映画「007は二度死ぬ」などに出演した国際派スターで、ドラマ「Gメン75」などでも活躍した俳優の丹波哲郎(たんば・てつろう、本名・丹波正三郎=たんば・しょうざぶろう)さんが、24日午後11時27分、肺炎のため亡くなった。84歳だった。

 告別式は30日正午、東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所。喪主は長男、義隆氏。

 中央大学卒業後、新東宝に入社し、1952年のギャング映画「殺人容疑者」でデビュー。長身と彫りの深い顔を生かして、56年の「妖雲里見八犬伝」などで悪役として活躍。61年に今村昌平監督の「豚と軍艦」のやくざ役でコミカルな演技に開眼した。篠田正浩監督「暗殺」(64年)で、幕末の風雲児・清河三郎の複雑な人物像を、74年の野村芳太郎監督「砂の器」では、主人公を追い詰める刑事を演じた。
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謹んでご冥福をお祈りします。老いたりとはいえ、未だ、邦画俳優の重鎮というよりは「顔役」といった印象が強く、最近作においても丹波氏のカメオは、一部の映画好きにはお墨付きとなるほどのステータスがあった。

個人的には、『キー・ハンター』の後番組『アイフル大作戦』の桜田警部((更に後番組『バーディー大作戦』では、小川真由美演じるライバルの岸涼子アイフル探偵学校校長の意思を汲み警視庁を退職、アイフル探偵社のOB・OGで結成されたバーディー探偵社の探偵長に納まる))や、『007は二度死ぬ』のタイガー田中が印象深い。

ニヒリズムの漂うダンディズムを、絶妙のユーモア感覚(素のカリスマ)で味付けし、絶対の存在感を持って、70sTVドラマファンを魅了し続けたのであった。あぁぁあぁぁ。・゚・(つД`)・゚・。

Dr.Who ドクター・フー 地球最後の日

祝!"Dr.Who"新シリーズ日本放映。一人「ドクター・フー」前夜祭を開催。





ローズと
観光エイリアン
ローズとエイリアン観光客



クリストファー・エクルストンの九代目ドクターのシリーズをamazon.usで買っちゃってるので、そいつを見ての感想など。拙い英語力で観ているので誤解もあるが、まぁ大目に見て欲しい。ネタバレ部分はフォント色変えてるので、読みたい人は自己責任でドラッグしてくだされ。

Episode2"THE END OF THE WORLD"(『地球最後の日』9月26日22:00よりNHK衛星第二放映予定)
宇宙から来たマネキン軍団の為、図らずもニートになってしまったローズ(ビリー・パイパー)は、ドクター(クリストファー・エクルストン)と行動を共にする事に。時空航行機ターディスに乗り込みドクターが目指した次の目的地は、地球衛星軌道上の巨大な宇宙ステーション。時は、A.D.2005+5,000,000,000。Σ(゚ω゚;)50億年後、太陽が惑星としての寿命を向かえる。太陽のスーパーノヴァに焼かれ消滅する地球を見学する、エイリアンの観光ツアーが行われているのだった。

多種多様なエイリアンが一堂に会するシーンは、海外SFドラマの醍醐味とも言える。着ぐるみ、パペット、CGといろいろ組み合わせて、かなり贅沢な作りになっている。クラシックシリーズを観たことがある人にとっては、技術の進歩と予算の拡大に、目頭が熱くなるかもしれない。


前回が登場編でレギュラーキャラクター紹介を、今回は設定説明編ということで、タイムロードだのターディスだのを解説しなきゃいけない。だが、袖触れ合うも多少の縁で同行人になった娘さんの故郷の崩壊する様を自慢タラタラに見せつけるエクルストンの9thドクターって、なかなかのスットコドッコイと言えよう。

他にも、オールドファンにはご存知アイテムの超音波ねじ回しを十分に使いこなせなかったり、並みの人よりやや劣るかもな反射神経だったりと、あんまりいいところの無いドクターであった。が、タイムロードの設定の一部が明かされるシーンは中々泣ける。ドクターはスットコドッコイ故に、「私はタイムロードを信じる!」と言ってくれた協力者のお姉さんの命を失ってしまう。この植物生命体のお姉さんとの対話で、タイムロードがそもそも絶滅種であるというショッキングな設定にチラリと触れられたりもして。

最後の地球人カサンドラのデザインもキャラ造詣もイイね。何があったのか知らないが、皮膚だけで出来た塗り壁状の身体に、平面な顔が付いているというかなり突き抜けたフリーク感覚がスゴイ。夢に見そう。そして、地球が無くなってもなお営利主義に走る利己的な性格が、地球人という種のスタンダードな属性とされている処が面白いね。

そして、ステーションのエイリアン達を皆殺しにしようとする画策するカサンドラを断罪するドクターの酷薄なまでのシャープさが印象深い。50億年を経て精神的には何一つ進歩ていない地球人=カサンドラと同種族のローズに対するドクターの視線の変化、そして、いろんな意味で得体の知れないドクターに対するローズの心の変化が今後のドラマのキモとなっていくのであろう。

現代のロンドンに戻り行きかう人々を、無常感に潤む瞳で見つめるローズに、「私の星も燃え尽きたんだよ。。。地球と同じように(中略)私は最後のタイムロードなのだ」と自身の過去を僅かに晒すドクター。そしてローズは「私がいるわ」と応じる。ラストは情感に満ちている。タイムロード絶滅の謎の見せ方と合わせて、
縦横綾なすシーズンを通したテーマ性は、11話目までを観て、拙い英語力の理解の範囲ではしっかりとしているようである。"We are not alone."ならぬ"I'm not alone!"が基本テーマであるようで、今の日本人のメンタリティにもしっくりくるのではなかろうか?日本語吹き替え版の放映で、そのあたりのデリケートなニュアンスも理解が深まるであろうと、期待が高まったのであった。

Doctor Who
Complete First Series
(US版 英語字幕有り)
BOX1~13話+特典
Doctor Who
Complete First Season V.1(US版 英語字幕有り)
1~3話収録


ドクター・フー
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ウルトラマンメビウス 「毒蛾のプログラム」

石橋けい「ちーす」
電通が噛んでるシリーズはどうしてこうアレなのかなぁ。マーケッターはクリエイティブに口出ししてはいかんよ。石橋けいが出ていなきゃ、誰が三十分に渡るバンダイの出来の悪いCMを我慢して観るもんかい!

今回けい姫が演じるフジサワ・アケミ博士は、異次元物理学の権威という、特撮番組なればこそ許される怪しいエキスパートという役どころだ。が、職業のみならず、その性格設定がエキセントリックに過ぎ、かなり妖し気。舞台劇の場数も踏んで、毒婦も演じられるようになったけい姫なればこその、大人フェロモンを漂わす不思議ちゃんなフジサワ博士は、蝶というよりは蛾のイメージも感じさせる。


「あ~る・デコ」は姫に是非
そんな彼女は、後の先を取る策士ぶりを発揮。全ては彼女の想定の範囲内。登場する前からの計算通りに蛾超獣ドラゴリーを撃退してみせる様は、拙い演出をカバーする姫の小芝居がスパイスになり、なかなか痛快であった。

サブタイトルの「毒蛾のプログラム」とは、三十年前の攻撃プログラムを実行する超獣と、ちょいと毒のある美人博士の策略のダブルミーニングであったのだね。


ウルトラマンメビウス
Volume 7



最後の一壜

『最後の一壜 スタンリイ・エリン短編集』 (1963~1978年発表) スタンリイ・エリン 仁賀克雄 他 早川ミステリ

『特別料理』で得も言われぬ不気味な「奇妙な味」を味合わせてくれた、エリンの短編集。ミステリあるいはサスペンスの範疇での掌品が多いが、結末の跡に、さらなるドラマを感じさせる作品が多い。翻訳家も錚々たるメンバーが揃った、珠玉の短編集。気に入ったのは以下。






最後の一壜



「エゼキエル・コーエンの犯罪」(1963年 訳:仁賀克雄)
イタリアでレジスタンスとして活躍したエゼキエル・コーエンは、ナチと内通した裏切り者とされていた。休暇旅行でイタリアを訪れていたアメリカ人警官は、父の無実を信じる娘と出会い、二十年以上の歳月を超えて、真相究明に乗り出す。ほろ苦い結末ながらストレートに感動できる佳作。

「127番地の雪どけ」(1965年 訳:小笠原豊樹)
因業大家と管理人に冬の間の十分な暖房を求める住人連合が立ち向かう。ユーモラスな展開から、作者らしい「ニヤリ」とさせる結末が宜しい。

「古風な女の死」(1966年 訳:永井淳)
画家の妻が夫のアトリエで、胸に深々とナイフを突き立てられて死んでいる冒頭から、その死の真相を探る本格推理。。。。にみせかけての意外な結末。ミステリとしてギリギリセーフかつ悪意の深さが伺えるアイデアが秀逸。

「12番目の彫像」(1967年 訳:永井淳)
舞台はイタリア。映画制作の現場と辣腕プロデューサーの思惑がぶつかり合って。。。という中篇ミステリ。長さゆえか、ミステリとしては凡作であるが、映画好きにはある種堪えられない構図の「対決もの」として楽しめる。

「最後の一壜」(1968年 訳:矢野浩三郎)
この世に一本しかないワインを巡る、愛憎渦巻く復讐譚。鮮烈にしてなんとも言えない余韻を残す、傑作。

「画商の女」(1970年 訳:深町眞理子)
「127番地の雪どけ」と同じく、持つ者とと持たざる者の対決編。因業な画商をやり込めるアバズレの冴えたやり口が極めて痛快。

「清算」(1971年 訳:永井淳)
結末から更なるドラマの広がりを感じさせる。時代が生んだアイデアは、デヴィッド・マレルのアレと同じテーマを鮮やかに、しみじみ怖く料理している。

「天国の片隅で」(1975年 訳:丸本聰明)
短編にしておくのは勿体無いようなアイデアだが、長編だとダレるんだろうなぁと。個人的に、俺自身の持っている闇の琴線に触れる、大変に怖くも爽快感のある傑作。



Dr.Who ドクター・フー

"Dr.Who"はBBC製作のSFドラマ。エルフの概念をSF版に置き換えたタイムロードと呼ばれる超越種族の一人「ドクター(Doctor)」が、時空航行機「ターディス(TARDIS)」を操り、地球の過去未来や宇宙を旅して悪を懲らすというのが粗筋。、日本人にはSF版「水戸黄門」という説明が、いちばんイメージしやすいかもしれない。
1963年から1989年まで26年間に渡って放映された人気番組というところも、「水戸黄門」に似ているかもだ。1996年には20C-FOXとの共同制作で単発のTV用映画として製作され、2005年に新シリーズが復活。現在は十代目ドクターのシリーズが欧米で放映中だ。『Mr.ビーン』のローワン・アトキンソンがドクターを演じた"Comic Relief: Doctor Who and the Curse of Fatal Death"というパロディ作品があるらしいが、ドクターの正史からは外されている模様。




ドクターとローズ
クリストファー・エクルストンとビリー・パイパー

日本でのドクター・フーの知名度は極めて低いが、過去に何度かお目見えはしている。TVシリーズの人気エピソードをハマー・プロが映画化した『ドクター・フーとダレックス("Dr. Who and the Daleks ")』『ダレックス地球を征服("Daleks' Invasion Earth: 2150 A.D.")』が、にっかつホームビデオからビデオリリースされている。この二作のみ、ピーター・カッシングがドクターを演じている。
他、四代目ドクターのエピソード『火星のピラミッド("Pyramids of Mars")』『サイバーマンの逆襲("Revenge of the Cybermen")』『死のロボット("The Robots of Death")』が同じくビデオリリースされている。NHK衛星第一でも"Robot""The Ark in Space""Genesis of the Daleks"の3エピソードを放映している。なんでこんな中途半端な数かというと、"Dr.Who"は一エピソードあたりの放映話数が不規則なのだ。週一30分枠の番組ではあっても、一回で終わるエピソードもあれば、5回も続くエピソードもあったり("Genesis of the Daleks"は六回!)。ということで、日本の1クール分に近くなるようにNHKが買い付けたと思われる。
衛星が受信できなかったので人づてに録画を頼んだので、全エピソードをフォローしていないことと、トム・ベイカーシリーズは海外旅行土産で数本英語ビデオで観ているので、記憶がゴッチャになっている。"The Sontaran Experiment"もこの時衛星で放映されているかもしれない。。。。。
ところでこの四代目ドクターのトム・ベイカーは非常に人気が高く、1974年から1981年まで七年間ドクターを演じた。トム・ベイカーのドクターはマーベルでコミック化もされ、シンプソンズなどにもたまにギャグとして顔を出したりもしている。

ノベライズもごく一部を早川文庫から刊行されていた。『時空大決闘』、『オートン軍団の襲来』、『戦慄!地底モンスター』、『ダレク族の逆襲』、『恐るべき最終兵器』の五冊。うち『時空大決闘』は『ドクター・フーとダレックス』、『ダレク族の逆襲』は『ダレックス地球を征服』をノベライズにしたものである。

トレーディング・カード・ゲームも並行輸入で入ってきてはいたが、まぁとにかく印刷が悪く、集めようと言う気はビタ一しなかった(w。

変わったところでは、1983年に製作されたTVスペシャル"Doctor Who: The Five Doctors"の放映に合わせて、ピンボールマシンがリリースされており、これも日本で一部輸入されゲームセンターで稼動していた。ドラマのストーリーをなぞり、五人のドクターにちなんだフィーチャーを揃える(≒マスターの罠から救出する)とジャックポットが発動する。ボーナスゲームとしてはビデオモード(八十年代は、筐体にLEDパネルを搭載して安っぽいビデオゲームを遊ばせるという仕様が主流だったのだ)でダレックの攻撃を避けるというものがあった。ちゃんと"exterminat"って言うところがツボかもだった。



さてこの2005年版九代目ドクターのシリーズが、この秋よりNHK衛星第二で『ドクター・フー』としてオンエアされる。。。。というのを知ったのは、このクリストファー・エクルストン演じる九代目ドクターのシリーズのDVD-boxを、amazonで注文した後だったんだよね。前倒しで観た第一話"Rose"(9月25日『マネキンウォーズ』として放映予定)感想は以下。ドラッグして見てください。


早川のノベルス五冊の中で一番面白かった『オートン軍団の襲来』に登場するオートン≒ネステネのモンスターが登板。デパートのアパレルコーナーで働くローズ・タイラーは、閉店後にマネキン(=オートン)に襲われるが、「ドクター」と名乗る謎の男に助けられる。直後店は大爆発。職場を失ったローズを、翌朝生き残ったマネキンの腕が襲うが、再びドクターに救われる。「深入りするな」というドクターの忠告を無視し、インターネットでドクターの素性を調査するローズは、ある書き込みを発見する。その書き込みの主は「ドクター」と名乗る謎の男を研究していた。彼によると、同じ姿かたちの男が、ケネディ暗殺の場面や、出航前のタイタニック号の記念撮影写真に写っていることを指摘する。ドクターは不死者なのか?

『オートン軍団の襲来』のオリジナル"Spearhead from Space"はビデオで見てるんだよね。このエピソードは三代目ドクターの登場編でもあったり。妙なシンクロニシティを感じる。
70年当時のアメリカや日本のドラマと比べても、決して出来の良いほうではなかった"Dr.Who"だが、新シリーズは全く別物として作っているのは正解かもだ、今のところは。
四十五分一話(民放だとCM入れて一時間の枠)完結の体裁に変更して、ストーリーが密になりつつ展開はアップテンポになっている。演出自体もリズム感が良く、45分の長さすらも感じさせない。
ビデオ撮影と相性のいいデジタル技術の向上は言うまでも無い。ローズの彼氏がゴミ箱型オートンに襲われたりするCGの使い方は実にツボを抑えている。一方で、オートンのせっこい気ぐるみやドクターの超音波ドライバなどのアナクロい特殊美術は、シリーズとしての伝統としてしっかりと残す、緩急のバランスが宜しい。この辺のセンスは、日本人とイギリス人って結構近いからかもしれないけど、いい仕事しているなぁと。
アシスタントのローズ・タイラーを演じるビリー・パイパーが。。。。趣味の問題はあるとは思うけど、俺は個人的に凄い好みで宜しい。TV版『ニキータ』のペータ・ウィルソンにクリソツな「ちょいブスフェロモン」がプンプンで(w。体型もガチな感じで、スタントも結構こなしているけれど、キャラクターとしては普通の女の子っぽい感じがちょっと萌えるかも。後のエピソードで明らかになるが、設定年齢19歳!見えない(w。
流石のタイトルロール、クライマックスでドクターを助けるために、オートンに突っ込んでいくシーンのローズが良いね。「仕事も無ければ未来も無いけど、アタシはねぇ、未就学児の体操クラブで銅メダルとってんのよォ!!!」"No future"はローズ個人と地球とのダブルミーニングになっているわけだ。そして画面はカットバックで、ショッピングセンターでオートンに襲われる母の姿を映し出す。宇宙から来た侵略者ってか怪獣災害に私生活を崩壊させられるって演出、他にあんまりなくて新鮮である。

英語音声を英語字幕も付けて追いながら見ても、結構面白いので、日本語吹き替えになったらもっと楽しめるだろう。個人的には、二十数年ごしで観たかった番組なので感慨も一塩。視聴率的にも善戦していただき、次シリーズも日本に来てもらいたい。事のついでに、クラシックシリーズのオンエアなんかも期待してみたりして。

Doctor Who
Complete First Series
(US版 英語字幕有り)
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Doctor Who
Complete First Season V.1(US版 英語字幕有り)
1~3話収録


ドクター・フー
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河内カルメン

河内カルメン(1966 鈴木清順監督)

エネルギッシュではあるものの、なんか小骨が刺さったような翳りが気になる、清順節の「復讐ヒロイン」映画

河内で生まれ育った娘が、流転の生活を経て、成熟した女に成長する物語。



河内カルメン

と言ってしまえば簡単だが、冒頭でいきなり、野川由美子演じる女工・露子は輪姦されてしまう。ボロボロになって帰宅したところで、近所の修験者と母親の密通を目撃してしまうのだ。身体を汚された恥辱よりも、母の生々しい性交への嫌悪感がトラウマとなる露子。彼女はその男遍歴において、最初に寝る前には必ず、そのトラウマ映像が浮かぶのだ。法螺貝を通して覗き見たような、渦の奥から湧き上がってくるパースの付きすぎた(魚眼レンズの撮影による)桑山正一のアップがインサートされる。
そうしたインパクトのあるトラウマビジョンを見せ付けながら、抱かれてしまえばあっさりと男に情が移ってしまう露子の姿は、野川の色気と愛嬌の同居した顔立ちとあわせ、なんとも魅力的なのだ。が、なんか小骨が刺さったような居心地の悪さが残る。露子と寝た男はことごとく不幸になっているというのもあるだろう。情にほだされ、ついついいいようにあしらわれてしまう、被害者はむしろ露子の方であるにも関わらず、だ。そこに男の後ろめたさが何ほども感じられないところも、一つの原因かもしれない。
恥辱の代償に、女として成長し金も掴んでのし上がっていく露子だが、本人は意図しないところで、男は破滅していく。次第に心が疲弊し、限界ギリギリのところで父が死んだところで、修験者・良厳坊が妹を手篭めにしていることを知るのだ。虚無の果てに、復讐ヒロインと化す露子なのだが。。。。最後の最後まで、なんかちぐはぐな雰囲気が拭えない映画だったなぁ。
木村威夫の美術は、本作でも健在。楠侑子のレズのファッションデザイナーの屋敷のセットや、露子を妾にした実業化が、自家製ブルーフィルムを撮影するシーンの劇中劇ならぬセット内セットが必見。周り舞台にしつらえられたカクテルライト状の照明群は、モダンなセンスと機能性をむき出しにしながら、変態性という威容をあくまで損なわない。これは凄いと思った。

ローマ帽子の謎

ローマ帽子の謎(1929年発表) エラリー・クイーン 井上勇 訳 1999年 創元推理文庫 






ローマ帽子の謎



例の『ニッポン硬貨の謎』読んでから、クイーンを読み直してみようと思い立ったわけさ。いざ読み直してみると、劇場から帽子を持ち出すハナシというあたらずとも遠からず当たり障りも無い粗筋しか覚えていなくて、新鮮は新鮮だった。

あと、エラリー・クイーンといえば、縁なし眼鏡などかけており、ものすごくモダーンなイメージがあるのだな、俺には。全く根拠は無いが、フランク・ロイド・ライトの建築物のある風景がイメージされるのであった。

まぁ時代的には決して間違っていないのだが、時代背景としては禁酒法下であったりとかでちょっとビックリ。調べていたら『ローマ帽子の謎』が発表された1929年って大恐慌が始まったり、St.バレンタインデーの虐殺とかあった年なんだねぇ。へぇ。

というわけで、黒人の血が混じってることがバレるとまずいから殺しましたという動機は、いかにも時代を感じさせるなぁ、と思ったのだった。

「話を純粋に理詰めにしていくと、与えられた方程式の中で、一つを除いて、あらゆる可能性を極めつくした後、あとに残った一つの仮定は、どんなにありそうにないことにみえようとも、(中略)正しいものでなくてはならない。」

と作中でエラリーは言うわけだ。確かにそうした推理法が展開されるものの、真犯人の唐突感は否めない。アンフェアとも言える部分もあるかな?出演していた男優全員に犯行は可能だったんじゃないの?とかさ、犯行時刻前後に誰が舞台にあがっていたのかが明示されていないとか黒人の血が混じってたら、まず見た目で解るだろうよ!恐喝されるまでも無くとかもね。

まぁ、モダンクラシックの雰囲気は楽しめたよ。

歯と爪

歯と爪(1955年発表) D・S・バリンジャー 2001 創元推理文庫

まず第一に彼は、ある殺人犯人に対して復讐を成し遂げた。
第二に彼は殺人を犯した。
そして第三に彼は、その謀略工作のなかで自分も殺されたのである。

以上、プロローグより抜粋


歯と爪


勘のいい人というか、ある程度ミステリを読み込んでいる人は、主人公リュウの仕掛けた犯罪の概要は、ピンと来るものがあるだろう。多分それは、間違っていないと思われる。俺は大ビンゴだった。

だが、にも関わらず最後まで読ませるのは、バリンジャーの構成力による。いかにしてリュウは殺人事件に巻き込まれたか?そして、いかにして復讐を成し遂げたか。これを描くリュウの一人称の描写と、その復讐劇に纏わる法廷でのやりとりの三人称がカットバックで描かれている。

この法廷部分の描写が曲者でね、被告が誰なのかは最後まで明かされない。つまり、先の「ミステリ読みの勘」が正しいか否かは、クライマックスから結末を読まないと明かされないのだ。そしてクライマックス部分は袋とじにされている。これを開かず返品した場合は、出版社が返金に応じるという「読者への挑戦」が仕掛けられているのだ。

発表時の50年代はこういう手法が氾濫していたらしい。現代では、まさに温故知新。趣向を凝らしたギミックとして中々楽しめるものがある。一般的に読書家というものは、よっぽど難解あるいは大作で無い限り、途中で読むことを放棄したりはしないものだから、プロダクトとしても成功していると思う。ちなみに最近だと蘇部健一『ミイラ男』もこの手法を取り入れていたが、こちらは種明かしがビジュアルによっていた。

最後まで読むと、俺の場合、「あぁ、やっぱり」と思ったのだが、この安堵感が心地良い。洗練された文体(含む翻訳)と構成故の品の良さが、読後の充実感を与えてくれるのだろう。人を殺す理由とそこに生じるリスクを、善玉悪玉双方についてキッチリ抑え、しかもくどくないところが、大人の余裕。倫理を強調しながらも、過剰な情に流さない、「知の愉しみ」としての犯罪小説の洗練であると思う。

狩人の夜

たまたま、原作を気に入って調べてみたら、日本語版のDVDが出ていることを知り、即購入。いやぁ、良かった良かった。

原作がノベライズに思えるほど、会話部のセリフなども含め忠実に映像化されているのだが、映画の全体の構成は、原作の意図を汲みつつ独自の大胆なアレンジを加え、ダークファンタジー調にまとめられている。昔話を語り始める老婆のような、冒頭のリリアン・ギッシュのモノローグでまず悩殺されてしまう。

狩人の夜


本作は、大恐慌に端を発し、生活が行き詰った一家の主が強盗殺人を犯す事から始まる、考えうる最悪の形で一家離散迎えた男の子(まだ少年とも呼べない)の現実認識の物語である。原作でも主人公ジョンが再三「これは悪い夢だ」と自分に言い聞かせる描写をもって、悪夢的画面構成でこの映画は綴られていく。

前半部のクライマックス、父が盗んだ一万ドルの在り処がロバート・ミッチャム演じる「宣教師」ハリーに知られ、幼い妹パールとともにジョンが家を逃げ出すあたりまでは、俳優の演技に依存する、当時としては手堅い(今となっては古臭い)映像が続くのだが、兄妹がボートでオハイオ川を下っていく描写あたりから、俄然ファンタジックな映像美の世界へと突入する。

オハイオ河畔に生息する野生動物の姿をナメた映像は、悪く言えば安っぽいが故に濃密な虚構性を漂わせている。そこで、悪夢的現実と悪夢がどんどんボーダレスになっていく幼い兄妹の現実感と、映画を観るものの認識がシンクロしていくのだ。そして、やっと川から離れ、どこかの家畜小屋に潜り込んだ兄妹は、「宣教師」が歌う聖歌によって眠りを破られるのだ。月明かりに、シルエットだけが映えるハリー・パウエルの悪魔的ビジョンの恐ろしさ。そして、「あいつは寝ないのか!」と大人びて毒づくジョンのある種ユーモラスな姿の裏には、ハリーのサイコパス故のハイテンションを観るものは感じ取るわけだ。そして、悪魔のようだが悪魔ではない、だが誰も彼を捕まえ留めようとはしないという映画の中の現実に、隔靴掻痒感を強く覚える、計算された演出なのである。

そして見も心も磨り減った二人の子供は、リリアン・ギッシュ演じるクーパー夫人と出会うのだ。出会い頭に、初対面の子供を鞭で追い立てる老婆。グリム童話やマザー・グースの住人のような、(今日の日本人の常識や倫理観では)非現実的な人物の登場である。だが、その後続く数カットで、彼女が厳格だが頼れる、力強い善であることを観るものは知ることになる。クーパー夫人は映画の尺の60%を超えたところで初めて現れた、幼い兄妹の真の庇護者なのである。ここにおいて漸く、クラシックな映画の、筋立てとしては王道なクラシックな物語は、ベーシックな二項対立の構図を構築する。逆に、クラシックスタイルを取りながらも、物語が六割方進行するまでは悪の栄えと善の不在を謳い続けた、異色の映画とも言える訳である。

善悪出揃ってからの、二つの対立の構図を描く描写は目を見張るものがある。クーパー家での生活にも馴染み始めた頃、ついにハリーは二人の居所を嗅ぎ付けて、その眼前に姿を現す。第一ラウンドは、あっさりと悪の正体を晒し、ハリーは敗退する。問題は第二ラウンドだ。これは、映画ならではの原作にはないシチュエーションだ。

捨て台詞の通りハリーは、夜中に再びクーパーの家に現れる。聖職者の黒衣とナイフを月明かりに煌々と照らされ、聖歌を歌いながら。迎えるクーパー夫人は家の明かりを消して、闇の中、猟銃を握り締め目だけを輝かせ、椅子に座している。そして。。。。ハリーの歌う聖歌と唱和を始めるのだ!あぁ、これにはぶっ飛んだ。
「迷い子よ主を頼れ」という内容の歌を、対峙する善と悪の象徴が共に歌う。同じ歌詞でも歌い手の込める意味合いは全く逆だ。しかも、悪は光の中にあり、善は闇の中に偲ぶという画面構成のアイロニー。

この構図は、物語前半から再三繰り返されている。弱き女であるが故命を落とした幼子の母ウィラの死体描写。水中にあってなお陽光に照らされ、首の裂け目さえなければ聖母の如き印象を醸し出す、幻夢的なシーン。ジョンの親友を嘯く老バーディーがバンジョーを奏でるシーンは、真昼の艀に冗談のようにくっきりと影が映し出されていた。物語冒頭では、良く晴れた気持ちの良い午後に、人を殺してきたばかりの父ベンが、子供たちの目の前で地面に引きずり倒され、手錠をかけられる。。。このビジョンはクライマックスでも繰り返される。

悪しきものはみな光の中に。。。という単純なアイロニーではない。物語終盤でのクーパー夫人の台詞、「子供たちは耐える力を持っている」「子供たちは従順に耐え忍ぶ」という台詞を象徴しているのだ。これらは更に「だから主よ、御手を差し伸べてください」という台詞に繋がる。そう、闇の中に光は映えるのである。絶望の淵に立った子供たちに、終わらぬ夜はないという、希望を諭す演出なのだ。

原作者のディビス・グラッブは母親が福祉関係の仕事に就いていたことから、物語の舞台となっている大恐慌時代の悲惨な子供たちの姿を、見聞きしているのだ。そうした経験を踏まえて『狩人の夜』は書かれたわけだが、そのテーマ性は、原作者にとっては残念ながら、映画のほうがより洗練されている。


四銃士

待たれる、『新・三銃士』のリリース


四銃士 (初回限定生産)

前作『三銃士』とは、合わせて一篇の映画になるはずだったとかで、コチラも合わせて見ないことには全く意味がない。

本作は前作でやり込められたリシュリュー派の雪辱戦。というか、むしろ毒婦ミレディーの個人的な復讐といった趣きが強い。ダルタニアン物語の中でも特にハデハデしい部分を前作でカッティングしていた事もあり、本作はアクションがやや控えめかも。

とはいえ、随所にリチャード・レスターが配した悪ふざけと言っていいお遊び要素は、前作を凌ぐ。ダルタニアン対ロシュフォール伯爵とその戦闘員との氷上対決のリアリティを追求するが故のマヌケさや、小型潜水艇に乗って登場するバッキンガム公とか、ミレディーの館内部のブルーを基調としたハイセンスなデザインはマグリットを模していて、この時代に絶対ありえないとか。

かと思うと、前作では中々のキャットファイトを見せてくれたコンスタンツが、天然ボケの愛らしさを強調しながら、かなり痛ましく一方的に惨殺されたりなんかする一方、誰もが期待するお約束通りのロシュフォール伯爵の凄絶な末路とか、展開のメリハリやテンポは、前作同様でダレずに楽しませてくれる。

同じスタッフ・キャストで製作された『新・三銃士』もこの機会にDVD化してほしいなぁと。



三銃士

こういう映画が1,500円で手に入る悲喜こもごも

快作という言葉は、この映画のためにあるようなもんだ。美食は無いものの、男の絆を確かめ合いケンカに明け暮れ美女とムフフな、男の願望従属をほぼ満たしてくれる映画だ。日本人にはあまり馴染みの無い、細身の剣でのチャンバラシーンは、『木枯らし紋次郎』の市川崑演出に通じる無様の粋が横溢しており、ユーモラスな演出と相まって、時代のギャップを全く感じさせない。

三銃士 (初回限定生産)

絶妙なキャスティングも心地よく、それぞれ際立ったキャラクターを個性豊かに魅せてくれる。今ならブラッド・ピットやジョニー・デップのポジショニングか、マイケル・ヨークの溌剌としたダルタニアンの魅力、オリバー・リードの硬骨漢なアトス、リチャード・チェンバレンの「いい加減にしろ!」と言いたくなるアラミスの二枚目っぷり、フランク・フィンレイの癖のある伊達男ポルトス。ラクエル・ウエルチのコンスタンスとフェイ・ダナウェイのミレディのエロさ。一見対極に位置するような役どころのこの二人、入れ替わってもおかしくないような、剥き身の女っぷりが、これまたキャスティングと演出の妙だったり。そして、リシュリュー枢機卿のチャールトン・ヘストンとロシュフォール伯爵のクリストファー・リーの悪コンビの憎憎しさ!

今回DVDで見直してみて、ヘストンのリシュリュー枢機卿は仇役のポジションにあるだけで、じつは単なるマキャベリストであり、彼の巡らす陰謀は漢気的には間違っているが、政治的には正しいということに気が付いてみたりして。

リシュリューはルイ十六世と后妃アントワネット、その浮気相手バッキンガム公と並ぶ、実在した人物だから、その扱いは中々微妙な匙加減を必要とするわけで、燻し銀の端役、良くできたつけ合わせ程度が理想なわけだ。そういう意味で、枢機卿のキャラクター造詣は正しい演出を施されている。。。。のだが、びっこにしてみたりと妙に役作りのディテールに拘っているあたりに、なんとも心騒ぐ良い意味でのきな臭さを感じる。ヘストンのプランなのか、リチャード・レスター監督の発案なのか知らないけどね。

観れるだけでも嬉しい傑作なのだが、どうせなら、廉価にしなくてよいのでTV放映時の日本語吹き替えを収録して欲しかった。字幕で観てると、ポルトスが単なる三枚目に見えかねない。。。あぁ、羽佐間道夫さん、イイ仕事してたなぁ。マイケル・ヨークが誰だったかは覚えてないけど、三銃士の面々は記憶に残ってるので、久しぶりに脳内音声変換をフルに使ってみてしまった。日本語字幕のフォントが汚いのも気になるところである。


マイアミ バイス

ラストはアレだが、思った以上にタフでハードでクール快作( ゚∀゚)

MOVIXさいたま。

たまたま、一月ほど前の木曜洋画劇場で『ヒート』を観て、あ、こりゃ凄ぇ!と思ったわけだ。んで、同じくマイケル・マン監督作ということで観てきたわけさ。

TVシリーズの『特捜刑事マイアミ バイス』は、全く観たことがなかった。タイトルからして抵抗感があったことは否めない。マイアミという地名のメージが、どうもいけ好かないのだな。

んだがこの映画は、実に燻し銀の出来栄えであったよ。登場人物は皆非常にタフである。だがタフである事はあくまで職務遂行能力として必須のスキルであり、マッチョイズムの誇示ではない点を徹底した演出が、実に良かったのだ。

畢竟、アメリカ最大のリゾート地でありアメリカンドリームの記号でもある成金の街も、犯罪蠢く巷としての描写に徹底されており、西海岸の美しさも概ね日没後から夜明け前の暗い時間帯でしか描かれないというところも、クールである。真っ青な空と海がグラデーションのまま水平線で溶け合うといった、シーンはただ一箇所だけ、コリン・ファレルとジェイミー・フォックスのコンビが運び屋として自家用ジェットを飛ばすシーンだけである。

それでもなお、コン・リーとコリン・ファレルの乗る双胴のジェットボートが日没寸前の海を駆ける波頭の白さや、シンジケートのボスの別荘があるイグアスの滝を夜間に真上からのアングルで捕らえたシーン(多分、CG)など、息を呑む美しい風景描写が印象的であった。

仕入れ価格で六千万ドル相当の麻薬を扱うビッグシンジケートの武装、それを向こうに回す警察のそれ、双方最新の自動小銃を中心としたヘヴィな装備でぶつかり合うのだが、撃たれる弾丸一発一発に、妙な重みが感じられる。おそらく、緻密に、リアリズムに徹した演出プランの故なのだろうが、アクション映画にありがちのハデさが全く感じられないのだ。重み。ド素人の俺程度にも重みが伝わってくる銃器描写が、まさに燻し銀の風格なのだ。

ビッグマネーを動かすシンジケートの幹部たちは、世界的なヤクザの流儀に乗っ取り、ファッションも住居も車も、最高級のものを使っている。また、そういう社会に溶け込むため、潜入捜査に当たる刑事たちも、キメキメのマシンを駆っているのだが、成金臭が全くしないのだな。敵味方ともに、鋼の美しさを美意識の根底に持っているようで。この辺も、非常に俺好みであった。

Collision Course
CMでおなじみカッチョイイ、イメージソング


視聴はコチラ。
お買い求めは当店で(^ω^;

ニッポン硬貨の謎

『ニッポン硬貨の謎 エラリー・クイーン最後の事件』北村薫 2005 東京創元社

クイーン作品を全部時系列的に読み直したくなる、愛情と敬意にあふれたパスティーシュ

1970年代後半、来日したエラリー・クイーン(探偵であり作家の虚構人物の方)が解決した事件について記された未発表原稿が発見され、それを北村薫氏が翻訳したという体裁の、本格ミステリ。

ニッポン硬貨の謎

本格というのは言うまでも無くダブルミーニング。本格ミステリの草分けの一人であるエラリー・クイーンの国名シリーズを扱うということで、ジャンルとしての本格。そして、未発表原稿という体裁のパステイーシュの王道な手法をとりつつ、実に実にクイーンスタイルを踏襲し、クイーン論まで展開してしまうという、ファンノベルのスタイルとしても筋金入りの本格派なのである。勿論、自他共に認めるクイーンマニアである以前に、良心的な作品を多数書かれている実力派の作家である北村氏の手になる作品だ、面白くないわけが無い。

脚注のお遊び(これは、作中で展開するクイーン論にも呼応している)や、文体の模倣...初めて日本を訪れた外国人目線のズレや、作品が固まるまでに派生してしまった事実誤認の表現が、脚注のツッコミともあいまって、実にいい塩梅にリアル...など、後期のエラリー・クイーン作品の雰囲気を非常に良く再現している。冒頭の、息子のスランプ脱出に喜んでみたら実は...というクイーン警視の心中描写など、最高に良くできている。

一方、北村薫としての作風も失うことなく作品は構成されている。北村氏といえば、ドラマ部分での人間描写の鋭さも魅力の作家である。美や温もりなどを馥郁たる描写で紡ぐ一方、鮮烈なまでのドス黒さを一閃させる事もできる。その双方をもって、清濁併せ呑む度量や人間存在の不可解を、絶妙に纏め上げる珠玉の掌品が素晴らしい作風だ。

本作では先述の通り、ある種の人には神にも等しいエラリー・クイーンが日本にやってきたら。。。というifのシチュエーションを設定し、神様と幾許かの時を共に過ごすのみならず、ラブコールと同義の作品論を開陳したり、極めつけは共に難事件に立ち向かうという、マニアのみぞ享受できる願望従属のファンタジーである。その、淡い温もりのある色調の風景に、幼児連続殺人事件という漆黒の悪意が吹き抜ける。

事件が悲痛である故に、ファンタジー部分が楽屋落ち的興醒めに陥る事の歯止めともなっているのである。この事件の選定の趣味が、なんとも北村節だなぁと思ったのは俺だけではあるまい。
以前創元社より上梓されたアンソロジー『五十円玉二十枚の謎』に対する、エラリー・クイーンの回答という趣向も楽しい。敬意と愛情に満ちた、だが、才能無くば実現不可能な、極上のパスティーシュ作品である。

狩人の夜

『狩人の夜』ディビス・クラッブ(1953発表) 2002 東京創元社

ちょっと『ジョジョ』調のハイテンションなサイコサスペンス

大恐慌直後のアメリカはオハイオ州。貧しさから強盗殺人を犯した男は、奪った金を隠し、その隠し場所を誰にも告げないまま、絞首刑となった。処刑まで同じ囚房にいた「宣教師」は、男の隠した現金一万ドルを執拗に追い求め、残された男の妻と再婚する。右手に"LOVE"、左手に"HATE"の文字を刺青した「宣教師」は過去にも、幾人もの未亡人と再婚しては、財産を奪って殺していたのだ。父から逮捕直前に、一万ドルのダーティーマネーを託された幼い兄妹ジョンとパールの運命は!?






狩人の夜






といった内容のサスペンス。展開はアップテンポで、前半半分までにキーとなる現金の隠し場所も、「宣教師」ハリーの異常性も読者には詳らかにされてしまう。そして、妹パールまで懐柔され、幼いジョンの四面楚歌状況は、行き着くところまで行ってしまうのだ。残り半分、一体どうなるのか!?

というところで、新展開を迎えることになる。この展開も含めてベタではあるし、スピーディーな展開は描写の淡白さと表裏の関係にある。だが、煎じ詰めれば鬱々とした児童虐待の物語である。なんの救いも無く、延々と粘着質なサスペンス描写を紡ぐ事が、かならずしも作劇上のプラスになるわけではない。その辺りのところは作者はよく理解していると思いたい。訳の巧みさもあいまって、必要最小限の描写を持ってストーリーは十二分に盛り上げられる。

本作を翻訳した宮脇裕子さんが、かの作家の作品をご存知なのかどうかは知らない。だが、本書の語り口、特にキャラクタ造詣に関わる描写や重要なセリフは、荒木飛呂彦調なのだね。凶悪な殺人鬼と彼に対峙する弱者、その双方が見せる意思の強さをテーマとしている点も荒木作品と通じるものがあるが、訳語のテンポや雰囲気というのが、実になんとも荒木的なのである。例えば「宣教師」ハリー・パウエルが、いたいけな幼女を詰問するセリフにこんなのがある。

「これが見えるかい?なんだか知ってるかな?」
「うん、知ってる」
「そうか!じゃ、なんだ?パール、これはなにかね?」
「わかんない」
だったら、知ってるなんて言うんじゃない。嘘をつくことになるぞ。これは、ナイフだ!
(中略)
「ジョンはおせっかいを焼くかな?それとも、おりこうにしてるかな?おせっかいを焼くと、後悔することになるぞ。もし、一言でも口をきいたら・・・・口をきこうとしようものなら・・・・
(中略)
「いいか、私のナイフには触るな!ナイフに触られると、頭にくるんだ!かんかんに怒るぞ!」

どぉ?『ジョジョ』の第三部あたりにありそうなやりとりでしょ?

ちなみにこの作品、ロバート・ミッチャム主演で映画化されているそうな。かの名優チャールス・ロートンの最初で最後の監督作品とのことで、スティーブン・キングも絶賛しているとか。この映画版に関しては、あとがきとして収録されている、石上三登志氏の文章が詳しく面白い。

夜のピクニック

映画公開の前に読んでみた。これは凄い。






夜のピクニック


夜を徹してひたすら歩くという学校行事に主人公達は、高校生活最後のイベントとして参加する。80kmを歩きぬくという過酷な催しではあるものの、クラス単位から親しい友人とともに苦労を共にしながら、語り合う機会というものが、様々なドラマを紡ぎ出していく。

本作は構成が実に巧みである。時系列の変化に伴う思考の流れを、男女二人の主人公を立てて相互の視点で語っているのだが、これが実にリアリティがあって、良い。主人公二人は異母きょうだいで、相互に没交渉。周囲にもそれとは知られていないままクラスメートになってしまったのだ。その微妙な距離感を中心に、互いの友人関係と、年齢相応の恋愛感情のマトリクスを、叙情豊かに綴った青春小説の傑作なのだ。

ミステリ作家としても実力派の作者はごく自然な「秘密」と「謎」をさりげなく配置し、その緊迫感や解消されたときのカタルシスを最大限に描いてもいるのだ。そしてそれは、少年少女が大人になるイニシエーションにもなっている。まぁ小説として当然といえば当然なのだが、全ての解決となるゴールではなく、新たなスタートであることをさりげなくだがしっかりと強調している点が素晴らしい。途中途中で挿入される、冷酷なまでの表現を用いたモノローグを効果的なアクセントとし、地方高校の学校行事をモチーフとしながら、当事者だけのドラマで完結させない、開かれた物語となっている。無理の無い非日常の設定が、読者個々が持つ「思い出の相似形」のノスタルジーに落としていない一方で、瑞々しい感情描写が絶妙の塩梅で年齢を超えた感情移入を読むものに即す。これが、青春小説の傑作の所以である。


クライム・マシン

粋は過去にしかないのだなぁ。掌品が時代を超えて輝きを失わない理由

作者のジャック・リッチーは、ほぼ短編のみを350編も書き続けた、短編ミステリ職人だそうで。なんだか『ヒッチコック劇場』を観ているような気になる作品が多いがそれも道理、ヒッチコックマガジンやEQMMなどが主な活躍の場だったらしい。

とにかく文章を削る事に腐心した作風で、結果としてアイデアを綴る最小限の言葉しか使わない事が、時代を感じさせる単語をも排する事になり、普遍性をもたらしているのである。






クライム・マシン



印象に残ったものを挙げておく。

-)「歳はいくつだ」
余命くばくもない男が、最後にやりたかった事は。。。。重さや暗さを感じさせない痛快編であるが、ラストの悪魔的余韻が曲者。

-)「エミリーがいない」
人間心理の裏を読む対決モノなのだが、仕組まれたどんでん返しが痛快。81年のアメリカ探偵作家協会最優秀短編賞受賞作。

-)「罪のない町」
僅かなとりとめの無い会話から、悪の萌芽を漂わせる、まさに職人芸の逸品。

-)「カーデュラの逆襲」/「カーデュラと鍵の掛かった部屋」
本書に4作収録されている、カーデュラ探偵社シリーズから二作。世界的に有名なあの貴族を捩った、タフネスどころか不死身のオプ、カーデュラの奮闘編。仇敵である民俗学者の末裔に立ち向かうカーデュラのウィットに富んだ作戦が秀逸な「逆襲」。「鍵の掛かった部屋」は、知性とセンスが光る、密室モノ。


ハマースミスのうじ虫






ハマースミスのうじ虫


かれこれ55年前に翻訳されたきり「幻の逸品」とされていた作品が、新訳で再刊。多少、時代のギャップを感じないではないが、それとてもビンテージ物の味わいとなる風格を持った、大人向けの名作であった。

主人公キャソンは、探偵まがいの人間観察を趣味とするワイン販売業者。とはいえ、ハイソサエティとも通じるアッパーミドルクラスの青年実業家で、女性の受けも宜しい容貌の持ち主。彼がクラブで知人の「らしくない」醜態を目撃したことから、「完全犯罪」とも言うべき手法を確立した恐喝者の存在を知ることになる。趣味の人間観察と義憤と、それぞれの理由を持って、この恐喝者に対し正義を行うべく決意するキャソンだったが、バゴットと名乗る恐喝者のプロフィールは何一つ判らない。たった一つ、ギリシャ彫刻に関しての深い造詣ということだけを手がかりに、キャソンはバゴットを狩りだすべく、英知の限りを尽くすのであった。

派手な事件もギミックも無い。だが、淡々と仮説と検証を繰り返しつつ、調査から狩りへと進んでいくプロセスは、実に読み応えがある。次第に明かされていくのはバゴットの素性だけではない。キャソンの人となりも平行して、徐々に深く描かれていく。がゆえに、次第に高まる緊迫感とラストの得も言われぬカタルシスは、実に大人な味わいを持っているのだ。この作品の大人味は、純粋性とも言えるかも知れない。後書きの解説の言葉をかりれば、「誰もが持つ子供らしさ」というもの。。。。これが、キャソン/バゴット双方のそれが、キッチリ描けているのである。


ファントマ映画祭2006

二十面相のルーツはファントマにあり?いろいろ発見があったミニシアターの名画座企画
スペイン坂ライズX。
三部作の上映で通し券だと一回あたり千円で観れる。名画座なら三本で千円なのだが。。。。
ファントマ 危機脱出

原作はなんと1911年に刊行されているとか。サイレントの映画版も、1915年には、五作品が日本でも公開されている。江戸川乱歩の怪人二十面相≒少年探偵団が1937年に初めて発表されているから、二十面相の方がはるかに後輩だ。二十面相は「怪盗」を「怪人」と改めなければいけなかったほどの当時の日本の世情から鑑みるに、ルパンのスタイル。。。。一滴の血も溢さず、一筋の傷も負わせぬ怪盗紳士。。。。を踏襲しながらも、そのやっていることはファントマの影響が極めて強いものの、それを声高に言えなかったと思ったのは俺だけではあるまいかと。

ロマン・ノワールの中でも猟奇性や劇場型犯罪の傾向が強いと思われる「ファントマ」もサイレントムービーで人気を博した「過去の人」であったようだ。が、『Dr.No』を皮切りに始まった世界的なスパイアクションブームの最中にリメイクされたのは、必然とも言えるのかもしれない。


ファントマ 電光石火

映画として一番纏まっているのは一作目の『危機脱出』。個人的に一番好きなのは三作目の『ミサイル作戦』。今となってはキッチュな魅力しか見るところが無い凡作なのだが、いろいろと発見があって面白かった。三作ともニュープリント版だったし東芝が配給に噛んでいる事から、団塊マネーを狙ってHD-DVDソフト化とか画策しているかもだ。フランス映画の場合ヒアリングの意味が全く無いので、是非吹き替え版を収録して欲しいものである。

ファントマのインパクトのあるラバーフェイスは、市川崑監督『犬神家の一族』(1970)の助清マスクに明らかに影響を与えている。また、マスクを被るという変装手法は、この「ファントマ」シリーズが最初に確立したのではなかろうか?そしてこの手法は、本邦に於いてはアニメ『ルパン三世』(1972)を経て、井上梅次監督の明智シリーズへと受け継がれていく。それは変装の手法というよりも、正体を明かす時に顔の皮をズルリと剥くというインパクトの為の手段として確立されるのである。


『ファントマ 電光石火』では、あからさまな007シリーズのエピゴーネン映画でありながら、車にウィングを付けて飛ばすとかパラシュート無しのスカイダイビングで敵にアプローチといったアイデアを007に先行し、のちにそれぞれ、『黄金銃を持つ男』と『ムーン・レイカー』に流用されているのである。
ファントマ ミサイル作戦

ファントマはジャン・マレーの二役だが(マスクのファントマとファンドールのバストショットでの合成ショットあり)ファントマの演技。。。立ち方とか歩き方。。。が、『ハンニバル』におけるレクター博士を演じるアンソニー・ホプキンスのそれにそっくり。
ちなみに、ハリウッドアクターズスクールだっけ?俳優をゲストに呼んでのトークショーで、ゲストの演技理論について語ってもらう30分番組で、ホプキンスがゲストで出演したときのレクター博士の役作りの実演シーンが、まさにファントマだったのだ。


ミレーヌ・ドモンジョがカワイイ。名前からしてドロンジョさまのオリジンとなるセクシー女優(吹き替えは当然、小原乃梨子さんがフィックス)だが、クリクリおめめがコケットな唇と相まって、得も言われぬ愛くるしさが溢れているのだ。。。。まぁ、演技はそんなでもないし、後半二作はスクリーミングガール扱いなのだが、第一作『ファントマ 危機脱出』では、当時の最先端のファッションをノーブラで着こなしており、劇中至る所で乳首ラインがクッキリ浮き出て、いやもう。。。。眼福。

ジューブ警部のルイ・ド・フュネスなんだが。。。ちょっと芸風が煩い。のだが、パリ市警の叙勲までされるド間抜けインスペクターというのは、クルーゾー警部の原型なのでは?『ピンクパンサー』の一作目と二作目は怪盗ファントムが登場する事からも、無関係では無い様に思われる。

ファントマ 危機脱出
ファントマ 電光石火
ファントマ ミサイル作戦


パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト

まぁそれなりに楽しめたが。。。。オカマのねずみ男やってていいのか!?ジョニー・デップ?!
MOVIXさいたま。

映画の日だから許される、個人的にはダメオーラ濃厚な映画を観てみようと思ったわけさ。

前作を見ていないと良く判らないセリフが多く「?」な感じも無きにしも非ずだが、二時間半の上映時間を感じさせない。CGとアナログ、アクションとドラマの構成が実にいい塩梅なのだな。。。。ギャグは全般滑り気味ではあったが。

あの終わり方は、要は『帝国の逆襲』なわけで、「なんや、ソレ!」と思わんでもない。が、「3」も観ていいかな?とちょっと思ったりしたのも事実。まぁまぁまさに、ディズニーランドのテーマパークが原作な映画として十分に機能的であると言えよう。

そんななかで、自分を忘れないというか浮いてるというか、ジョニー・デップによるジャック・スパロウのキャラクター造詣が、妙に気になった。セレブとしてのポジショニングにのっとったセクシー系の二の線のマスクに、かの「ビビビのねずみ男」を凌駕するせっこい小悪党っぷりと、随所で見せるおカマモーション。絶賛するほどハマれないのだが、ちょっと心配になる程度にはヘンなキャラであった。

ちっちゃなクトゥルフデイビィ・ジョーンズ以下の悪霊海賊の絶妙なグロさや、結構な迫力のクラーケン描写など、けっこう通好みの場面も多かった。特に、宝箱の争奪戦の舞台となる、どピーカンの砂浜での四つ巴の剣戟のシーンがね、アナログの撮影テクニックを見せ付けてくれて、オリジナルの仮面ライダーのノリをゴージャスに再構築してくれているようで、個人的には拾い物のシーンだった。

時をかける少女

素直に、健やかに、伸びやかに。走って跳んで転がって、少女は時をかけ抜けた!

映画の日のテアトル新宿。

評判通りの良い映画。時間跳躍の超能力を使うため、物理的に加速が必要というアイデアは秀逸。ベタであるがゆえ思いつかないし、やろうとも思わないよなぁ、普通。そういう意味でコロンブスの卵的発想となってしまった感もあるアイデアだが、これが、実に丁寧に描けているのだねぇ、作画的にも構成的にも。

見ている最中はね、そりゃグシグシ鼻も啜り上げたさ。かつて自分にもあったあの日の思い出の相似形に、ノスタルジーを感じたから。

だが。。。ね。陳腐な言い回しだが、「青春の一頁」の掛替えの無さというものは、失ってみて。。。。というか後戻りできない段階でその事を痛感して初めて理解しうるものである。ところが本作は、じつに自然に、主人公の女子高生が現在進行形でそれを感じ取るプロセスを描いた作品である事に気がついたとき、もう本当に涙が止まらなかったね。家に帰ってから、本格的に大泣きしてしまったよ。

ハード・キャンディー

『ゴジラの逆襲』遺伝子を受け継いだ、ガチンコ電波系バウト

映画の日のシネマライズ渋谷。

出会い系サイトで少女を渉猟し毒牙にかける性犯罪者というのは、洋の東西を問わず存在するようで。そんな変態野郎を逆ハントする現代の赤頭巾ちゃん。。。。ってな触れ込みの映画であったわけだが、展開とか含めた印象は、真夜中に一軒家の中でシガニー・ウィーバーが猟銃で男二人を追い回す、ポランスキー監督の負の快作『死と処女』に近いものがった。

アッチは、女の側が単なるパラノイアでしかないので、まだエンタメとしての体裁保っているが、本作は、男の側が割りと早々とガチの性犯罪者であることと、少女が電波さんであることがわかってしまう。つまり、どちらもパブリックエネミーなのだ(w。

男が、本当にちょっと魔が射しただけなのかもしれないという擁護の論理も働かないし、少女の側にも復讐ヒロインのカタルシスも無い。糞野郎とDQN腐女子の、妙にリアルな殺し合いが延々続くのだ。

戦う双方のどちらに義や理があるわけではなく、したがって感情移入もできない。純粋な戦いを傍観するという意味では、ゴジラvsアンギラスの死闘を観る感覚に通じるものがあるように感じた。

だが、怪獣映画なら巻き添えを食って破壊される市街というカタルシスが存在するが、この映画にはそんなものはビタ一無い。だが、観るものの神経をこれでもかとすり減らそうとする意気込みと、それを特殊メイクに拠らないセンスは、ある種潔いものがあるのだった。