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狩人の夜

たまたま、原作を気に入って調べてみたら、日本語版のDVDが出ていることを知り、即購入。いやぁ、良かった良かった。

原作がノベライズに思えるほど、会話部のセリフなども含め忠実に映像化されているのだが、映画の全体の構成は、原作の意図を汲みつつ独自の大胆なアレンジを加え、ダークファンタジー調にまとめられている。昔話を語り始める老婆のような、冒頭のリリアン・ギッシュのモノローグでまず悩殺されてしまう。

狩人の夜


本作は、大恐慌に端を発し、生活が行き詰った一家の主が強盗殺人を犯す事から始まる、考えうる最悪の形で一家離散迎えた男の子(まだ少年とも呼べない)の現実認識の物語である。原作でも主人公ジョンが再三「これは悪い夢だ」と自分に言い聞かせる描写をもって、悪夢的画面構成でこの映画は綴られていく。

前半部のクライマックス、父が盗んだ一万ドルの在り処がロバート・ミッチャム演じる「宣教師」ハリーに知られ、幼い妹パールとともにジョンが家を逃げ出すあたりまでは、俳優の演技に依存する、当時としては手堅い(今となっては古臭い)映像が続くのだが、兄妹がボートでオハイオ川を下っていく描写あたりから、俄然ファンタジックな映像美の世界へと突入する。

オハイオ河畔に生息する野生動物の姿をナメた映像は、悪く言えば安っぽいが故に濃密な虚構性を漂わせている。そこで、悪夢的現実と悪夢がどんどんボーダレスになっていく幼い兄妹の現実感と、映画を観るものの認識がシンクロしていくのだ。そして、やっと川から離れ、どこかの家畜小屋に潜り込んだ兄妹は、「宣教師」が歌う聖歌によって眠りを破られるのだ。月明かりに、シルエットだけが映えるハリー・パウエルの悪魔的ビジョンの恐ろしさ。そして、「あいつは寝ないのか!」と大人びて毒づくジョンのある種ユーモラスな姿の裏には、ハリーのサイコパス故のハイテンションを観るものは感じ取るわけだ。そして、悪魔のようだが悪魔ではない、だが誰も彼を捕まえ留めようとはしないという映画の中の現実に、隔靴掻痒感を強く覚える、計算された演出なのである。

そして見も心も磨り減った二人の子供は、リリアン・ギッシュ演じるクーパー夫人と出会うのだ。出会い頭に、初対面の子供を鞭で追い立てる老婆。グリム童話やマザー・グースの住人のような、(今日の日本人の常識や倫理観では)非現実的な人物の登場である。だが、その後続く数カットで、彼女が厳格だが頼れる、力強い善であることを観るものは知ることになる。クーパー夫人は映画の尺の60%を超えたところで初めて現れた、幼い兄妹の真の庇護者なのである。ここにおいて漸く、クラシックな映画の、筋立てとしては王道なクラシックな物語は、ベーシックな二項対立の構図を構築する。逆に、クラシックスタイルを取りながらも、物語が六割方進行するまでは悪の栄えと善の不在を謳い続けた、異色の映画とも言える訳である。

善悪出揃ってからの、二つの対立の構図を描く描写は目を見張るものがある。クーパー家での生活にも馴染み始めた頃、ついにハリーは二人の居所を嗅ぎ付けて、その眼前に姿を現す。第一ラウンドは、あっさりと悪の正体を晒し、ハリーは敗退する。問題は第二ラウンドだ。これは、映画ならではの原作にはないシチュエーションだ。

捨て台詞の通りハリーは、夜中に再びクーパーの家に現れる。聖職者の黒衣とナイフを月明かりに煌々と照らされ、聖歌を歌いながら。迎えるクーパー夫人は家の明かりを消して、闇の中、猟銃を握り締め目だけを輝かせ、椅子に座している。そして。。。。ハリーの歌う聖歌と唱和を始めるのだ!あぁ、これにはぶっ飛んだ。
「迷い子よ主を頼れ」という内容の歌を、対峙する善と悪の象徴が共に歌う。同じ歌詞でも歌い手の込める意味合いは全く逆だ。しかも、悪は光の中にあり、善は闇の中に偲ぶという画面構成のアイロニー。

この構図は、物語前半から再三繰り返されている。弱き女であるが故命を落とした幼子の母ウィラの死体描写。水中にあってなお陽光に照らされ、首の裂け目さえなければ聖母の如き印象を醸し出す、幻夢的なシーン。ジョンの親友を嘯く老バーディーがバンジョーを奏でるシーンは、真昼の艀に冗談のようにくっきりと影が映し出されていた。物語冒頭では、良く晴れた気持ちの良い午後に、人を殺してきたばかりの父ベンが、子供たちの目の前で地面に引きずり倒され、手錠をかけられる。。。このビジョンはクライマックスでも繰り返される。

悪しきものはみな光の中に。。。という単純なアイロニーではない。物語終盤でのクーパー夫人の台詞、「子供たちは耐える力を持っている」「子供たちは従順に耐え忍ぶ」という台詞を象徴しているのだ。これらは更に「だから主よ、御手を差し伸べてください」という台詞に繋がる。そう、闇の中に光は映えるのである。絶望の淵に立った子供たちに、終わらぬ夜はないという、希望を諭す演出なのだ。

原作者のディビス・グラッブは母親が福祉関係の仕事に就いていたことから、物語の舞台となっている大恐慌時代の悲惨な子供たちの姿を、見聞きしているのだ。そうした経験を踏まえて『狩人の夜』は書かれたわけだが、そのテーマ性は、原作者にとっては残念ながら、映画のほうがより洗練されている。


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